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対話がひらく未来…「第八回 稲葉 俊郎・土屋 芳春」

更新日:2022年11月25日

会長院長

 

 

2022.11.2軽井沢絵本の森美術館 絵本図書館にて対談

参加者:

一般社団法人軽井沢観光協会/軽井沢リゾート会議都市推進協議会/軽井沢リゾートテレワーク協会/軽井沢ウエディング協会/軽井沢美術館協議会

会長 土屋 芳春 氏 

軽井沢病院長 稲葉 俊郎

図書館

軽井沢絵本の森美術館 絵本図書館

 

稲葉:軽井沢町の公的な部分や、共助の部分に関わる人たちが、どういう考えを持っているのか、そうしたことが見えにくいのではないかと思うことがあります。それぞれの考えが深め合えて助け合えるような関係性を作っていきたいなと思い、この連続対話を進めています。たとえば、美術館は単純に利益追求型の企業ではないですよね。利益や利潤に還元できない価値を生み出すことをもっと共有したいと思っています。
 

土屋:私も観光協会、リゾート会議都市推進協議会、美術館協議会など、色々な立場があって、どういう立場でお話すればいいのか迷いますね。
 

稲葉:そうですね。むしろそうした全て兼務してる唯一の人しか見えないところをかたっていただきたいなと思っています。私も、軽井沢病院長だけではなく、色々な教育機関に関わっていたり、山形ビエンナーレの芸術監督をしていたり、そうした全体的な立場を受けて、話しているというところもありますので、むしろ分けずに語っていただきたいなと思います。
 

土屋:はい、どういう話になるのか楽しみですね。よろしくお願いします。

 

稲葉:土屋さんは、軽井沢美術館協議会の会長もされていると思います。軽井沢美術館協議会はどのような役割を持った組織なのでしょうか。
 

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土屋:軽井沢美術館協議会は、1981年にセゾン現代美術館が高輪から軽井沢に移転してきたことが大きなきっかけになっています。リゾート型の本格的な美術館というのは初めてだったんですね。これまでは小規模でプライベートなものばかりでした。セゾン現代美術館ができたことで色々な美術館が軽井沢にできてきたので、ブランディングまではいかないですが、何か軽井沢ならではの統一感をつくれないか、というところから始まっています。
 

稲葉:セゾン現代美術館も1981年というと、もう40年も歴史があるんですね。セゾン現代美術館は私も大好きな美術館の一つで、県外から来られた方をよくお連れする場所です。とにかく庭園が美しく、他に無いような場の力を強く感じる美術館です。建築物の佇まいもいいのですが、建物を囲む庭や川の調和が素晴らしいです。ああした場の作り方は、まさに軽井沢特有だと思います。
 

土屋:そうです。敷地全体が美術館というコンセプトなんですよね。そうした明確な考え方があるからこそ、リゾートにある美術館は都心部の美術館とも差別化が出来ると思います。建物の中で美術に触れる時間だけではなく、そこから外に出ている時間も美しい空間が広がっていて、色々なオン・オフの切り替わりがあります。余韻に浸ることができる効果もあります。
 

稲葉:川崎市岡本太郎美術館は生田緑地と一体のようにしてあり、森の中を歩いて行くと突然美術館が現れて、そうしたプロセスを含んだ場の作り方にとても感動しました。軽井沢では当たり前になりそうな体験なのですが、やはりそうした自然と人工物との調和の中にこそ、新しい気づきが生まれると思います。
 

土屋:そうですよね。森の中に佇む美術的な空間、というのは、まさに軽井沢らしい風景ですよね。軽井沢にいると、その価値を忘れてしまいがちなんです。
 

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稲葉:軽井沢は自然保護対策要綱も含めて特殊な守りがある場だと思いますが、そこに複数ある美術館が、何か統一感を持つ、というのは大事かもしれませんね。
 

土屋:地域の価値を高めることにも芸術の存在は大きいのですが、お互いの美術館が情報交流する事で、美術館全体の活性化を図るような試みをしています。メディアの方々への対応も、ひとつの美術館が個別にやるのもいいですが、こうしたまとまりでメディア対応をすることも大事なんです。
 

稲葉:公立の病院がそうなのですが、単純な利益追求型の組織ではないんですよね。経営的に無駄なものをすべて切り捨ててしまえば、利益は出ると思いますが、公的な病院には利益が上がらないところも支えていく必要があります。例えば、道路や信号などは、利益を上げるために作っているのではなく、地域の人が住みやすい場をつくるための社会基盤ですよね。公立の病院だけではなく、美術館にも同じような役割があるのではと思います。単純な利益追求、お金儲け、という文脈では決して維持できないと思います。
 

土屋:やはり美術品を収蔵していますから、空調など含めて維持費もすごくかかるんですね。利益は入館料と物販などが主で、そんなにいくつもあるわけじゃないんですよね。美術館をやっていて何のサポートもなく黒字経営を続けるというのは、ほぼ難しいと思います。
 

稲葉:道路や橋や公園を利用するときも、特に何も考えず使っていますが、こうしたものも作って終わりではなく、必ず維持費がかかりますよね。それは企業の営利目的で行っているわけではなくて、生活者の幸福のためにつくられるものです。社会基盤という意味では、病院などの医療もそうした立ち位置にあって、今回の感染症の流行はそうしたことが表に出てきたと思いますね。感染症を診ることは、利益だけではできないことです。日本全国で入院も積極的に受け入れてきたのは軽井沢病院も含めた公立の病院です。そうして常に対応できる状態を保つために維持費もかかり、それは美術館も同じですね。訪れた人にいい体験をしてもらいたいから、修繕費や維持費をかけていく必要がある。あまり普通はそうしたことを考えないことは多いですよね。
 

土屋:そう思います。自分も美術館の経営は30年以上関わっていますが、日本には個人が公的な場に投資する、というような社会文化が無いんです。だから、教育・医療・文化も、行政や国がすべて面倒を見る、という形ができあがってしまっています。欧米などと比較すると、日本は国民の成熟度が低いように感じます。欧米は個人が公的な場、共助にあたる場に支援する体制がしっかりしています。それは税金の優遇など含めて、そうしたことを促進する仕組みがたくさんあるんです。日本もバブル期は企業も文化事業に大きく投資していたのですが、経営が傾くと最初に文化事業から撤退していきますよね。日本では、個人個人が共に美術館を育てて支えていこう、という意識が低いと思うんですよね。それは社会の制度の問題なんですしょうかね。社会が与えてくれるものであって、わたしには関係ない、というのが見えざる前提になっているように感じますね。
 

稲葉:おっしゃる通りですね。わたしも海外の美術館を見に行ったときに、国として文化に対する考え方が手厚いことに驚きました。
 

土屋:もちろん、地方に行くと公立の博物館や美術館がすごく多いんですが、美術館の社会性や立ち位置の意味合いがまるで違うんですね。
 

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L.レズリー・ブルック原画「カラスのジョニーのパーティ」(1907年)

 

稲葉:現在の日本で、共助や互助の部分が抜けていると思うのですが、芸術や文化の領域でも同じことを感じています。個人が経営する小さいギャラリーがあって、その次の規模になると市立や県立という立ち位置になるんですよね。自助と公助の部分に大きく割れているというか。土屋芳春もそうですが、個人の力で町などの公的な場に関わる規模の美術館を立ち上げていく。そうして文化を作って支えていく。そうした個人の挑戦に対する理解や共感が少ないと思います。本当に大変なことばかりだと思います。そうしたことが、芸術に対して敷居が高いとか距離があると感じることと関係があると思うんですね。
 

土屋:与えられる社会って言うんでしょうか。与えられることに馴れてしまって、自分たちが作っていこう、という考えになりにくい社会ですね。
 

稲葉:フランスでは、フランス革命によって自由・平等・友愛を獲得した、と学びますが、そうして命がけで獲得していく感覚は日本では薄いと思いますね。与えられる立場は安全ですし、文句も言い放題になります。ただ、自分たちで考えて創造して維持していく、そうして自分が関わるとなると、いかに難しいかという事だと思います。
 

土屋:そうなんですよね。
 

稲葉:美術館を維持している人たちの大変さと、病院を維持する大変さも似てるなと思いますよ。

 

土屋:本当ですか。

 

稲葉:医療の世界でも、働き方改革を国として進めていこうとしています。というのも、今までの日本の安価で便利な医療の多くは医療者のボランティアで成り立っていたところが多いわけです。救急車をタクシー代わりに使ってる人を、救急隊員も医療者も、何も言えない状況ですから。むしろ、そうした指摘をするとこちらが大変な攻撃を受けます。
 

土屋:救急車をタクシー代わりに使う、というのは、一部の人なのかもしれませんが、そうしたことを抑制したり禁止する仕組みがないんでしょうね。私たちから見ると、病院や教育は必須なもので、それに対して美術は必須なものではなく、趣味の世界でしょう、となるんですね。確かにそうだとも思います。それが嫌ならやらなければ、と言われると何も言えません。そういう意味で芸術は公共性や社会性の観点から外れた場所に置かれているように感じますね。
 

稲葉:2020年の3月頃、新型コロナで世界中が不安の渦に包まれている時期に、アメリカ政府は「アメリカは芸術を必要としている」として米国芸術基金が約80億円の支援を決定しました。そのことに続いて、ドイツ政府は「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」として総額7500億ユーロの財政パッケージがドイツ連邦議会で承認されました。こうした強いメッセージは、心の深い場所に影響を与えたと思います。人間の心の世界を考えると、心が荒れることで言葉が荒れ、社会も荒れてきます。そうしたことを食い止めるために社会の治癒活動のように芸術や文化に支援をする。こうした動きは無意識に大きな影響を与えると思います。病院で言えば、心療内科や精神科のように心の世界を扱うのが芸術だと思います。不要不急を避けてください、と言ったときに、日本では美術館や音楽ホールが最初に槍玉に上がったのが残念でしたね。
 

土屋:閉鎖空間ということで、かなり叩かれましたね。

 

稲葉:芸術や音楽の場が失われる事で、どれだけ人の心に複雑な影響を与えるのか、と思います。それは直接的で表面的なものではなく、内臓のように奥深いところで起きる変化なので。

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 1658年に出版された、絵本の起源といわれる『世界図絵』(J.A.コメニウス作 1777年版) 

 

土屋:お聞きしたいことがあるのですが、これからZ世代が社会で活躍する時代になりますよね。Z世代は、1990年代後半から2012年頃に生まれた世代で、デジタル技術やスマホなどが当たり前の前提として与えられている世代です。インターネットやテクノロジーは特別なものではなく、当たり前だと思っている世代です。そうした人たちが社会に出て来た時に、社会のコミュニティーのあり方が全く変わってしまうのではないか、と思うのですが、果たしてどうなるんでしょうね。
 

稲葉:もちろん、予想出来ない所は多いですよね。今はメタバース空間が一大産業として盛り上がっていて、現実世界で洋服を買うのではなくて、メタバース空間での自分の分身(アバター)の洋服にお金を投入するような時代に、と言って、新しいビジネスチャンスだと世間が騒いでいますね。そうした仮想空間が現実より重要になってくると、病名のつかない今まで見たことがない奇病が増えるんじゃないかとも思いますね。
 

土屋:それは精神的なものですか。

 

稲葉:心のバランスがとれなくなると、自然治癒力の一環として病を発症しそうな気がします。ただ、そうした仮想現実への警鐘は、仏教や東洋哲学では1000年以上も前から指摘されていたことでもありますが。私たちが巨大な脳を持っているが故の副作用なものとして。ただ、人間は体が不調になったり、病気になったりする事で新しい平衡状態に移行しようとするので、病もプロセスの中で必要なものであるとも思っています。そうした中で、自分が健康であり幸福である、という基準点へと揺り戻しが起きると思います。人間は一度でも病的な状態を経ないといけない業を抱えている気はします。

働き方改革というより生き方改革

土屋:軽井沢の特徴は、やはりこの自然とのバランスに価値があると思います。スローライフと言われるような、天地自然のリズムに合わせて生きることですね。人間が生きていくためには働く必要もありますし、生活を補うためにテクノロジーも発達してきたわけです。その中で、自然の時間、自然の空間を心から欲して享受できる社会を、軽井沢から作って発信していくべきだと私は思いますね。
 
稲葉:そうした軽井沢が独自に持つ中心軸がずれない事は大事ですね。テレワークも、スローライフの対極になると本末転倒ですしね。森の葉っぱが紅葉して落葉して、土と混じり合っていく、こうした美しい植物的な時間に、自分の身心のリズムの波長を合わせて行くと、人間界だけではない別の視点に戻りますね。


土屋:働き方改革というより、今は生き方改革ですね。仕事もテレワークに移行していく中で、仕事に留まるのではなく、生き方そのものを考え直す時期ですね。軽井沢はワーケーション(ワーク+バケーション)の中のVacationだけじゃなくて、Educationや、Imaginationなども付いてくると思うんですね。
 
稲葉:都市自体が、ある種の仮想空間ですよね。誰かが頭の中で創ったものが都市と言う形で表れてきていますから。脳化社会とも言えます。そうした仮想空間がさらに何重にも入れ子状になっていくと、もう人工世界から出られなくなって、そうしたバランスを取ろうとすると、やはり新しい形での自然界との関係性を結び直す時代になるんだと思いますね。
 
土屋:確かに、何重にも閉じ込められていくと、頭にも不具合が起きるでしょうね。
 
稲葉:自然界は予測出来ない現象が無限に起きますよね。葉っぱ一つの動きを見ているだけでも、予想を超えた挙動をしますし。今は秋の紅葉の時期ですから、自然界の変化には見惚れます。
 
土屋:時間も動いていますからね。
 
稲葉:人間だけではない動物や鳥や虫が共存した世界の中で、人間の予測や制御だけで作られた世界に閉じ込められていくと、どうなるんでしょうね。ある意味では壮大な社会実験になるかもしれませんが、人間は健康や幸福な場を求めると私は思います。
 

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土屋:バーチャルリアリティだけで完結していく世界は、想像するだけでもちょっと怖いですよね。そうなると、別に人間じゃなくても良いんじゃないかとなりそうですよね。すべてが機械化されて自動化されていくと、SFのようですが。人間には動物的な本能がありますから、そうした本能が黙ってはいないとも思いますが。これからの人間社会はどういう風になっていくのか。
 
稲葉:そうしたことを距離感を持って感じられる空間自体が、軽井沢にはあると思います。バーチャルな世界に閉じ込められると、もう距離を持って見ることすらできなくなりますから。
 
土屋:本当にそうですね。わたしもここ軽井沢で生まれ育ったんですが、軽井沢もバブル期にはタレントショップが乱立して迷走していたと思います。他の某観光地でも、バブル期にタレントショップが竹の子のようにできました。その後、一気に潰れてしまうとただの廃墟になってしまい、見るも無残です。それを軽井沢に置き換えて考えてみると、やはり本物の文化は必ず生き残っているんですね。今回のコロナ禍でよく分かったことは成熟した社会を作らないといけないということですね。マスツーリズムではなく、目の肥えた個人と一対一でしっかり相手できるかどうかが大事です。軽井沢もやはり本物志向の方が求める場所ですし、それに応えられる場所だと私は思いますね。
 
稲葉:小手先で騙されない人が多いと思います。バブル期の観光地のモデルは、会社の団体旅行のように何百人もの人が一気に移動して一気に消費するようなモデルだったのでしょうが、そうしたモデルが崩壊して、一人一人や家族や友人などの小規模のグループが吟味して選ぶようになりましたね。しっかり店主さんとコミュニケーションが取れたり、当たり前の人間的な事を求めている気がしますね。
 
土屋:軽井沢の場合は、FIT (Foreign Independent Tour)と言われるような、パッケージ旅行や団体で海外を旅行する旅行者ではなく、個人で手配し、海外を自由に旅行する個人旅行者が多いと思います。つまり、団体ではなく個人旅行が多いんです。個人旅行はツアーではないので自分で旅行を組み立てて、自分で調べて訪れます。このレストランで食べたい、ここに泊まりたい、と明確な目的がある人が多いのは昔からの傾向だと思います。


稲葉:わたしも軽井沢以外にも色々な場所に行ったことがありますが、軽井沢には独自性があると思います。自然や森の存在と人工的な世界とのバランスが絶妙だと私は感じています。軽井沢に戻ると、人工的な情報量が少なくてホッとしますね。
 
土屋:そうですね。やはり別荘地・保養地・避暑地というポイントからはずれないようにする必要があると思います。「観光地」ではないと思います。軽井沢観光協会長の立場として、そう思います。笑
 

稲葉:そう言ってもらえると、心強いですね。笑

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土屋:私はリゾートという言葉を意識的に使います。「リゾート」は再びを意味するreと、出かけるという意味のフランス語sortからできた言葉です。何度も訪れたくなる場所がリゾートの語源です。リゾート地は、ゆっくりとくつろいだり、リラックスすることをメインに、長期滞在するための場所や施設を意味しますが、観光地はその場所に長く留まるのではなく、短期間・短時間の楽しみ方ですね。リゾートは滞在しながら心を癒す。そういう意味付けをもっと強化していく必要があると思っています。豊かな時間、豊かな空間、豊かな仲間。みんな「間」が付きますが、その三間の場所を軽井沢が提供するわけです。以前に比べて、移住者の方も家族連れが多くなりました。
 

稲葉:私も同じです。家族全員の生活や教育、成長の場を考えて、軽井沢を選びました。

 

土屋:中軽井沢にバーを作ったりされている方もいいですよね。

 

稲葉:NPO法人織り成す軽井沢ですね。

 

土屋:そうです。ああして仲間たちで雰囲気を作っていくというね。 
 

稲葉:物件を借りるのが難しかった、という話も伺いました。もちろん、場を荒らされたくないという気持ちもよく分かります。ただ、そこには何かルールや取り決めの中で、地元に貢献してくれる人を選ぶ仕組みをつくればいいと思うんですよね。共助や互助の場をつくろうとしている人達に対しては、もう少し場が開かれるといいなと思います。

 

土屋:そういう意味では閉鎖的なところはまだ残っているのかもしれないですね。

 

稲葉:どんな場でもそういうところはあると思いますけどね。他の場所よりはまだ開かれているのかな、とも思います。やはり、自分のテリトリーを侵されていると感じるのだと思います。
 
土屋:今は何かを所有するというよりも、シェアするという感覚になっているとは思いますね。そうなると土地や場に固執しないので、ずっと同じ場にいる人からすると場を荒らされた、という感覚になるのかもしれませんね。その辺りは、定住型と移動型との考えの違いなのかもしれませんが。
 
稲葉:人の流動性が高まることで良い部分もたくさんあると思います。ただ、医療や福祉もそうですが、ある程度その場に根付かないとやれない分野が、人材が流動化することで維持できなくなる事態は起きるかもしれません。もともと、軽井沢は流動性が高い場所ですから。医療や福祉のように人生全般に関わっていく分野では、それなりの長期的な視点でやらないといけない面はありますよね。
 
土屋:そうなんですよね。流動性が高い方がいい分野とそうではない分野はあるでしょうね。
 
稲葉:もちろん、おっしゃったように社会が流動的になることが避けられないならば、なおさら軽井沢を選ぶ努力や工夫は必要ですね。ずっと住みたいと思える場所と医療や福祉、教育の充実は関係あると思います。
 
土屋:医療も学校も社会インフラだとすると、軽井沢は恵まれていると思いますよ。わたしも色んな地方の視察に行きます。過疎化して廃校になった学校を行政がリノベして企業に借りてもらおうと簡単に考えますが、過疎化した場所に新しい人を定住してもらうことがそもそも難しいんです。何も対策を打ってこなかったのに慌ててやっても付け焼刃です。地域の魅力は、やはり局所のものではなく、全体のバランスだと思います。

 
稲葉:そうですね。全体性を忘れてしまうと、局所だけに惹かれた人は、実際に来てみて想像と違うな、となりやすいでしょうね。

軽井沢でのテレワークの歴史は古く 

土屋:行政が下手に手を出してしまうと失敗することは多いです。今、軽井沢のリゾートテレワーク協会には26施設ありますが、全部民間なんですよ。

 

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稲葉:軽井沢には、そんなにテレワーク施設があるんですね。知りませんでした。 

 

土屋:そうなんです。軽井沢でのテレワークの歴史は古くて、1905年に旧軽井沢にできた三笠ホテルでは、当時の政財界の重鎮たちの社交が行われていて、『軽井沢の鹿鳴館』と言われていましたが、軽井沢のサロン文化の原点でテレワークの原点でもあります。民間がテレワークの施設を運営するためには、マーケティングもマネジメントもしっかりしていないといけません。駄目だった場合は、もう撤退するしかないので、それなりに厳しい面もあります。ただ、行政が関わってしまいと撤退は出来ないですよね。
 

稲葉:確かにそうですよね。 
 

土屋:若い人達はテレワークに対する期待値が高いです。ただ、実際には大企業は働き方の評価が分からないんですね。その場に居ないと評価ができないという理由で職場に縛ってしまう。テレワークの場を作ればどんどん人が来る、というわけでもないです。
 
稲葉:企業の中で我慢して仕事をしている人からすると、ただ遊びに行っているだけだろう、という位置付けになっちゃうんでしょうね。

 

土屋:そうなんですよね。ワーケーションの場合は、ただのバケーションだと思われるんです。不真面目だとね。
 
稲葉:その辺りが日本的な古い発想のところがあって、楽しく仕事をしちゃいけない、という不文律のようなものがあるんだと思いますね。苦しんで悲壮感を持って仕事をする、というイメージに合わせないといけないんでしょうね。散歩して、温泉に入って、焚火をして、家族とも楽しみながらリゾートで楽しく働く、という働き方が不真面目だと考える人が多いのかもしれないです。
 
土屋:そもそも評価制度が無いんでしょうね。大企業でも窓辺に座って朝8時半から午後5時まで、そこにいるだけで仕事したことになる。そういう評価しか無いから(笑)
 
稲葉:ただそこにさえいれば、仕事の質も含めた内容は問われないという奇妙なことはあるでしょうね(笑)
 
土屋:公務員もそういう傾向が強いんじゃないですかね。決まったことをしていればいい、というような考え方で。
 
稲葉:そういう面はあると思います。創造的に仕事をすることが阻まれて、やる気や創造の芽が摘みとられるような場面が多いように感じます。
 
土屋:軽井沢観光協会の事務局も、デスクは特に決まってなくて、自分がどこに座って仕事をしてもいいという環境にしています。椅子とテーブルは固定化しない方がいいと思いますよ。自由な気持ちで仕事できますからね。


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稲葉:おっしゃったように職場の空間を変えるだけでも、仕事の質や内容も変わるでしょうね。朝、職場に来た時の直感で場所を選べると、それだけで自由な雰囲気が入りこみますから。
 

土屋:仕事の能率も上がると思いますよ。 
 

稲葉:空間で意識のあり方を変える、というのは、優れた建築家が考えた建築空間でも起きることですよね。三浦慎さんの新庁舎のデザイン案も、そうした空間によってどれだけ仕事や対話の内容が変化するか、ということを建築空間で考えてデザインされていると感じました。建築の哲学そのものを大切にしてほしいなと思います。
 
土屋:アートの世界もそうですが、建築のデザインでは無駄な空間と言われるものが実はすごく大事ですよね。


稲葉:本当におっしゃる通りです。実用的ではない空間だからこそ、使う側の創造力が試されるんですよ。
 
土屋:無駄な空間を減らして経費を削減する、という考え方が極まっていくと、ただの四角形の箱の建物を建てればいいとなりますからね。
 
稲葉:それはまさに都市のビルの考え方になりますよね。少ない土地でどれだけ収容能力を上げるかといいう考え方になってしまう。空間で大切なのは余白だと思います。
 
土屋:そうなんですよ。役場に用事が無くても公園のように遊びに行けるといいですよね。
 
稲葉:お弁当を作って行ってそこでお弁当を食べたり。そうして自由に使える余白ある空間が求められていると思いますね。
 
土屋:星野がBEB5軽井沢を作った時、軽井沢の民宿組合の人たちにも、ああした空間の作り方を学んだらどうですか、と言いました。あそこはフリーアドレスで持ち込み自由。中心にあるコミュニティ広場のようなところも、偶然の出会いも含めて自然に混じり合える工夫がされています。ああした空間作りを学ばないと、ただ昔ながらのやり方を続けていても成り立たないと思います。
 
稲葉:空間の作り方自体に美術的なセンスが求められるんですよね。写真に撮ってみたときに、その絵を見ただけで美しく思えるかどうか、すごく大事な要素だと思います。旧来のやり方のいい部分に、新しい要素を重ね合わせて行く工夫が必要だと私も思います。
 
土屋:そうした空間から派生的に生まれて来るものは建築コストだけでは語れない重要な要素でしょうね。
 
稲葉:三浦慎さんが新庁舎で役場の人と一般の人がうまく交わる場を空間で解決しようと考えられていて、まさにそれこそが、共助や互助が起こりやすい空間なんだと思います。そこに余白が無いと、異なる世界の交わりや化学反応が起きえませんね。
 
土屋:「自然」と「人間」のかかわりをデザインすることをランドスケープ・デザインと言いますが、こうした視点で空間を捉えるのは大事ですね。ひとつひとつがバラバラに存在するのではなく、全体としてのデザインを考える。パブリックなものは点と点だけで私見が強くなると、全体のバランスが失われますね。
 
稲葉:そうですね。全体性を考えるのは本当に難しいんですよ。局所的で部分的なものは問題点を指摘できても、全体のバランスこそが製作者は心血を注いでいますからね。それは人の身体と同じです。
 

土屋:そうした空間や社会を全体的に見る視点を育てていく必要があると思います。 
 

稲葉:わたしもそうした事を若い世代に実地で学んでほしいなと思っています。多摩美術大学のテキスタイル研究室で講義をしました。そこがきっかけで、病院のようなパブリックな空間を美術的に美しく、しかも元気が出たり希望を持てるような空間づくりが出来ないかと課題を出して対話を重ねました。それを実際の病院の空間で発表してみませんか、ということになり、軽井沢病院の1階を展示フロアに見立てて、作品をつくってもらおうと考えています。2023年の1月から3月頃までの期間限定で展示を考えているのですが、多摩美の学生さんなりに公共空間をどう変容させるのか、ということを考えてもらえればと思っています。パブリックな空間の中で担当の場所は決めていますが、個々が表現しながらも全体としてどう調和できるのか、ただの自己表現にならないように空間全体に意識を向けてほしいと思っています。先日、試作品を持って来てもらい、軽い講評会のようなものをやりました。実際に空間に置いてみると、頭の中で考えていたイメージと違うな、ということが起きたりしていました。またそれぞれが課題として持ち帰ってもらい、2023年に実際に作品を飾ってもらおうと思っていますね。若い学生さんたちにも、そうして考えて色々とチャレンジするチャンスをあげたいな、と思っていたんですよね。
 
土屋:今の学校教育でも、僕らの世代が学んできた時代よりも、社会性みたいなものを学んでいるのかなとは思います。
 
稲葉:さきほどおっしゃったようなランドスケープ・デザインのように、空間を全体として見て行く視点が本当に大事なんですよね。わたしも22世紀風土フォーラムに委員として参加していますが、そこで軽井沢で芸術祭をやりませんか、と提案しましたが、軽井沢で行う芸術祭となれば、軽井沢町を全体的に見てみようといういい機会になるだろうと思うんですよね。 

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土屋:芸術祭はいいですよね。

 

稲葉:わたしも思い切って提案してみたんですが、全員がやりたいですね、と賛同してくれて、やること自体はみなさん大賛成でしたね。後はやり方を詰めていく必要がありますが。
 
土屋:そうですね。では何をやればいいんだろう、となりますよね。
 
稲葉:でも、何をやれば良いか分からないからこその祭りだと思うんです。祭りには昔からの伝統の祭りがあって、それはあまり変えるものではないですよね。だからこそ、芸術祭という形で行う新しい祭りは、それぞれの思いを持ち込んで重ねていくことで、新しい祭りの原型になると思うんですよね。

 

土屋:そうですね。ゼロから作れるものって意外にないですよね。
 

稲葉:まさに軽井沢でやる意義は何だろうって、改めて考えています。12月ぐらいに住民会議のような形で、同じ思いを持つ人たちでいい考えを取り込んでいきたいなと思います。
 
土屋:軽井沢駅の休憩室スペースの奥に少し広いスペースがあるんですが、そこでも美術の展示ができないか、という提案も受けました。美術作品を飾るとしても、どういうレベルのものでその空間を作っていくのか、ということも問われますね。

稲葉:軽井沢病院で発行している「おくすりてちょう」も、いかにも素人が作りました、というものにならないよう、プロの作品とも引けを取らない作品になるよう、須長さんと工夫してつくっています。わたしも、創ったものは展示に耐えうるとは思っていないので、その間を取り持つ人の存在が大事だと思いますね。作品の質を担保したり、全体としてのバランスをはかると言いますか。プロのデザイナーやアーティストがすこし間に入るだけで、作品の展示というのは質が変わってくると思いますね。軽井沢にはそうした才能あるプレイヤーがたくさんいると思っています。ですから、みんなが共に協働できる場としての芸術祭を考えたいなと思っています。

 

土屋:わたしたちも、軽井沢絵本の森美術館で東京芸大の学生にベンチを作ってもらいました。材料は全部こちらで揃えて作ってもらったら、色んな面白いベンチがたくさん出きたんですね。若い人たちが表現する場を準備することは大事だと思いますね。たとえば、町が毎年一つずつそうした作品を買い取っていって、町のあらゆるところに作品が溢れて行くといいなと思います。

 

稲葉:そういう積み重ねは本当に重要ですし、素敵ですね。

 

土屋:美大生にもチャンスが必要ですよね。

 

稲葉:本当にそう思います。せっかく爆発するようなエネルギーがあるのに、その力を披露する場がないとも言えますね。病院という空間もそうした場になれればと思います。一番若い時の作品は実はここにあるんだよ、となるとお互い嬉しいですよね。

 

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土屋:芸術祭をやるとして、何か参考にされているところはあるんですか。

 

稲葉:もちろん、世界中で色んな形態の芸術祭がありますからね。例えば、葉山芸術祭には、主催企画、共催企画、協力企画、参加企画という4つのパートに分かれていて、主催企画は芸術祭実行委員会が主催するイベント企画、共催企画は美術館との共同によるイベント企画、協力企画は個人レベルで難しい企画を実行委員会が協力提供をするもの、参加企画は一般参加者によるもので、葉山芸術祭では「オープンハウス」と言って、個人家屋をそのまま展示会場にしているんですね。こうした多様な展示空間をどう見せるか、というのも実行委員会の役目だと思います。
 

土屋:いいですね。軽井沢の学生たちも協力したり参加できたりすると、すごくいい経験になりますよね。
 
稲葉:セゾン現代美術館のような場で展示されるレベルの作品はもちろん大事ですが、そうした作品と同じ空間に展示されるような体験も重要だと思うんですよね。そうしたことも芸術祭の意義になると思いますし。なるべく広く意見を募りながら、できる限り取り入れて実施したいなと思っています。山形ビエンナーレで芸術監督をしたときも、美術ファンだけのものではなく、もっと一般の人たちを巻き込めないかという観点で色々と考えました。軽井沢も、面白い人がたくさんいるでしょうし、そうした偶然の出会いの場としても芸術祭が機能すればいいなと思いますね。

 

土屋:作り込んでいく過程も面白いでしょうね。

 

稲葉:軽井沢美術館協議会とも、何かいい形で連動してできればなぁ、と思います。軽井沢には素敵な美術館がたくさんありますしね。もちろん、すべてが手探りの状態で、規模から期間から予算から、あらゆる細かいディテールを詰めて行かないといけないんですが。もう出来ないって諦めるんじゃなくて、出来る規模でやろうと考えています。軽井沢は森の中、自然の中に調和して美術館があり、こうした世界観を上手く生かしながらできればと思いますね。
 
土屋:楽しみですね。出来る限り、ご協力させていただきたいです。町全体が活性化していくことは誰もが喜ぶはずだと思います。
 
稲葉:はい。色々と暗い話題も多い中で、そうした童心に帰れる時期があってもいいんじゃないかなと思いました。楽しいお話ありがとうございました。
 

土屋:こちらこそ、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

 (文字起こし:検査科 荒井美幸、校正:院長 稲葉俊郎、庶務係 佐藤大晃)

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