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対話がひらく未来…「第四回 稲葉俊郎・森 憲之」

更新日:2022年07月29日

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2022.6.17 軽井沢病院 応接室にて対談

参加者:軽井沢町総合政策課長  森 憲之

      〃  都市デザイン室長  星野 和弘

      〃  都市デザイン室主任 小須田 愛美

    軽井沢病院長 稲葉 俊郎

 

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稲葉:私は次の時代のテーマが「対話」になると思っています。「対話」こそが、人間が言葉を獲得したことで、人と人との摩擦を創造的に解決する手段だと思っています。ちょっと話は戻りますが、わたしが大学院生だった2010年のころ、原発を巡る対話を明治大学で行っていました。ダイアローグ研究会というタイトルで、違う領域の者同士がどのようにして対話のテーブルに着けるのか、ということを研究する勉強会です。色々な科学技術が生活の中に入ってきますが、何も考えず受け入れるのではなく、咀嚼した上で社会がどう受け入れていくかを考えたかったのです。北村正晴さん(元東北大学工学部原子核工学科教授)、大森正之さん(明治大学政治経済学)、作家の田口ランディさんたちと行った研究会です。当時は、なぜ原発の話を?と言われましたが、その後に2011年3月11日の東日本大震災と福島原発の事故が起きました。わたしも当時知識があったので、原発がメルトダウンして日本が壊滅するだろうと脅えながら日々を暮らしていたことを覚えています。小松左京がSF小説で描いたようなすべてが一度崩壊する世界です。心が落ち着かないので、被ばくも覚悟の上で医療ボランティアにできる限り入りました。安全地帯からではなく、現地を見たいと思ったんですね。現地で感じたことは、包括的で継続的な健康調査の必要性でした。現地の状況を色々な医学会の学会長に封書で送り、嘆願書を書きましたが、医学会の大きな動きは何も起きませんでした。そうした挫折体験も、私の中で大きかったです。医師の集まりは、課題解決をする集まりではないのだな、ということです。そこから、個人が集う「場」のことを深く考えるようになって、そのときに重要なものが「対話」だなと考えるようになりました。
例えば、「自治体」という言葉がありますが、まさに「自治」は「自分で、自分たちで治める」という意味ですよね。同時に、「自分で、自分たちで治す」という意味でも「自治」かと思うのです。ひとりひとり考えが違いますが、そうした個と個をつなぎ、有機的な場を生み出す土台が対話だと思っています。軽井沢が「屋根のない病院」と呼ばれた言葉が深く残りました。誰かがポロッと言った言葉が、いのちを持つかのように続いていて素敵ですよね。軽井沢という場を象徴する言葉かな、と私は個人的に受け取っています。今回は、軽井沢町総合政策課長の森憲之さんにお越しいただき、対話をさせていただきたいと思います。

 

森:今、稲葉先生がおっしゃった「自治」を実現させるために、軽井沢グランドデザインを作ったという経緯があります。軽井沢グランドデザインの中で「風土自治」という言葉がありますが、日本の景観学者(景観工学、国土史)である中村良夫先生(東京工業大学名誉教授)が使われた言葉です。中村良夫「風土自治 内発的まちづくりとは何か」藤原書店(2021)の中でも、「風土自治」とは風土を引き継ぎ育ててきた民衆の無意識の公共思想と書かれています。
平成26年の12月に軽井沢グランドデザインを作りましたが、稲葉先生もこちらはご覧になられましたよね。

 

稲葉:はい、もちろんです。ここで描かれているイメージはとても素晴らしいと思いました。古さと新しさが共存していく、自然と人工とが共存していくイメージは何か共通のイメージがないと、話がかみ合いませんから。
 

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©軽井沢グランドデザイン 作画:イマイ カツミ

 

森:最初はこれを軽井沢の教科書にしようと始めたのです。ただ、教科書にしてしまうと、答えはこの一つしかない、という風に誤解されてしまうので、参考書として参照点にしようと考えています。風土自治では住民主体の自治ということがとても大事になるんですね。
 

稲葉:軽井沢町役場も自治が大事だと思っていて、個人個人も自治こそが大事だと思っています。ただ、そうした両者の「自治」のイメージがうまく共有されていないのが問題なのかなと思うんですよね。
 

森:そうなんですよね。常にだれが責任を取るのか、という話になってしまい、そうした言葉にひるんでしまう、という状況が起きていると思います。
 

稲葉:ただ、自分たちで何とかしなくてはいけない、という根底の思いは同じではないかと思うんです。
 

森:行政の視点で考えると、住民のニーズはどんどんと増えていきます。なぜあっちは進むのにこっちは進まないのか、と、ニーズは雪だるま式に増えていきます。ただ、そこに応えることができる職員が増えているわけではないので、仕事量に応じた人の数がまったく追いつかない、というのが現場の実情です。一方で、新しく入ってきた人たちの中では、自分たちでも何か挑戦したいという動きもありますので、そうした思いをうまく生かしたいと思っています。グランドデザインは全体像ですが、そこから地域に独自のエリアデザインを進めています。なかなか形として現れる結果に出ていないかもしれませんが、焦らずに少しずつ進めていっている状況です。

短期的な視野だけではなく、長期的な視野こそが大事

稲葉:短期的な視野だけではなく、長期的な視野こそが大事だと思います。2022年6月号の広報かるいざわ、時々刻々114の中での藤巻町長のコラムには心を動かされました。塩沢通りの美しいカツラ並木に関する事例です。40年前の青年会のメンバーが、一軒一軒、所有者の許可をもらいカツラを植樹して、40年後の今、こうして美しいカツラ並木を見ることができます。当たり前のようにある美しい風景は、40年後を見据えた人たちの泥臭い汗の結晶なのだ、ということです。こうした話は、軽井沢のあらゆる場所にあるんだろうなと思いました。こうした長期的な視野を持った行動に対して、もっとリアリティを持っていいのだろうと思います。
 

森:今までは短期的な視点でバラバラに向いていたものが、長期的な視点を導入することで同じ方向の遠い未来へと向いてきていると思います。例えば、軽井沢町は自然保護対策要綱というすごく厳しい決まりを作って、今年で50年目になるんですね。昭和47年に出来たものです。それは法律でもなく罰則はないものなのですが、そうした皆さんへのお願い事項のようなものが50年続いて、定着していること自体がすごい財産だと思っています。厳罰化した決まりを作ってしまうのは簡単なんです。でも、頑固に自然保護対策要綱という緩やかな決まりにしているのは、やはり自治こそを大切にしたいという強い思いがあるからです。規制を強化することは、町が誇れる財産にはなりえないと思うんですよね。
 

稲葉:住民たちが自主的に守ってきた、ということ自体が大きな価値ですし、そうした覚悟を決めている町の倫理観や哲学自体も大きな価値です。両者共に、大きな価値として誇るべきものだと思います。自然保護対策要綱が守った軽井沢の絶妙な距離感こそが、わたしたちの安心や安全、心身の幸福を実現している、という事実に自覚が薄くなっているのかもしれませんね。そうした見えざる前提は、水や空気に感謝しないことと似ているかと思います。前提が失われて、初めてその価値に気づく、というような。健康と病気の関係も似たようなところがあります。
 

森:そうですね。こうしたことを守り続けて行くことには、それなりのエネルギーが必要になりますからね。軽井沢が失ってはいけない価値だと思います。
 

稲葉:素晴らしい仕組みだと思います。例えば倉敷美観地区のように、町の一部で行うのは役割分担の一つとして、まだ取り組みやすいと思いますが、軽井沢のように町全体でそうした決まりを作って実行するためには、強い思いがないと継続できません。
 

森:そうですね。特定の地区だとやりやすいですよね。固定資産税の発送件数が4万軒くらいありますが、それだけの人を取りまとめることができる哲学は本当にすごいです。先人の先見の明だと思います。ここまで続けていけると、当時の人もどれだけ想像していたんでしょうね。

 

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「風土自治」は、わたしたちの無意識の行動や考え方自体を改めて考え直す機会に

稲葉:6月26日に「いのちの居場所」という本を扶桑社から出します。地球規模の感染症の流行が起きている中で、自分が感じた違和感を手掛かりに考えていたことを2年ぐらいかけて書きました。書いている中で強く思ったことは、個人判断は、場に大きな影響を受けている、ということです。場の変化と、個人の健康や幸福は大きな関係があるだろうという点でした。感染症が流行し、社会が不安で覆われて行く中で、社会の流れがある方向に動くと、場の中で個も流されていく。そうした場の力学に興味を持ちながら観察していました。場の動きの中で、個人があまり自分の頭で考えようとしなくなる、ただ情報処理だけを行うようになる、そういう事実に恐ろしい面を感じながら、医療現場で働いていました。そう考えると、場が不健康になると、個人の判断も含めて個も不健康になるだろうと強く感じました。
ある特定の場所に集まれなくなった時代の中で、場所にわざわざ集まる事で何を得て何を失っていたのか、ということを考える時期だったとも思っています。その中で、場の健康を考える事と個人の健康を考える事を一つの概念として考えていきたいなと思いながら、本を書いたところがあります。
風土自治においても、地球に住んでいる場の自覚ともつながってくると思います。場を規定している風土が、人間の行動に影響を与え、文化形成にも影響を与えることを考察したのは哲学者の和辻哲郎でした。和辻哲郎は「風土 人間学的考察」岩波書店(1979年)の中で、風土とは単なる自然環境ではなく人間の精神構造に刻みこまれた自己了解の仕方であり、モンスーン・沙漠・牧場という風土の三類型から比較文化論を展開しました。これは、まさに風土という場が文化自体を規定しているということなんですよね。そうしたことを踏まえた上での「風土自治」は、わたしたちの無意識の行動や考え方自体を改めて考え直す機会になると思いますし、そこでも対話が鍵になると思います。

 

森:こうした風土自治のような活動を続けていく中で、役場にあれもこれもしてほしい。役場は何もしてくれない、というような、住民の要望を受ける場になってしまうことがあります。そうなると「自治」という中心軸からずれてしまうんですよね。住んでる人たちが自分たちで地域の事を考える。一人で考えるのではなく、対話を重ねながら考えて、何らかの合意形成へと進んでいく。行政はあくまでもその手助けをする立場なんですよね。あくまでも「自治」が大事な考えですから。そうした前提のすれ違いから、なかなか物事が進まずに、形になっているものが少ないのですが、またそのことを役場が批判されてしまう。軽井沢グランドデザインには、これからの軽井沢に必要なことは、地元住民が風土に対する認識を深め別荘住民や来町者を良きパートナーとして、「自らのふるさとを自らの責任で守る意識を持つこと」と書かれています。やはり守るべきは風土自治(住民主体の自治)そのものではないかと思いますね。「自らのふるさとを自らの責任で守る意識を持つこと」という意識が定着していく中で、少しずつ形になっていくのではと思います。
軽井沢の特徴として、地元の住民、移住してきた定住者、別荘所有者という三種類のライフスタイルが同居していますから、それぞれ求めるものが違っているわけです。例えば、地域のつながりを求める人と地域のしがらみを避けようとする人がいます。どちらかが大きな声でインターネットを駆使して大きなアクションに出ると、そうした動きに影響されて、一方の人は何も言えない、という状況ができてしまう。明治時代に宣教師が来たときに、パンやジャムの食生活の違いや、住居の建築様式の違いがあって、今までなかったニーズが生まれた時に、軽井沢の人たちがそうしたニーズに応えてきた歴史があります。パン屋さん、ジャム屋さんができて、その中で軽井沢も独自の町になってきました。それはお互いのコミュニケーションの積み重ねですよね。

 

稲葉:東京などでバリバリと大きな事業を動かしている人が、同じ勢いで事業を進めようとしたときに、土地や場での違いを感じることは多いと思うんですよね。もちろん、根底にある土俵自体が違うわけですからね。
 

森:そうしたライフスタイルが異なる人たちが、いい形で融合して共存していくことで、新しい未来は切り開いていけると思うんですけどね。
 

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稲葉:わたしも病院のスタッフと面談をしているときに話す事で、これまでの医療や病院の構造は、強い縦型社会のヒエラルキー構造です。役場も依然として同じじゃないかと思いますけど。それは言ってみれば軍隊の構造ですよね。上司が命令して部下が従う、という構造です。わたしは、すでにそうした構造自体がパワハラの温床になるだろうと思うのです。縦ではなく横の構造に変換させ、メンバーの全員が対等な関係になり、それぞれのプロフェッショナルな領域を尊重し合いながら、民主的なプロセスを大切にする、という組織の構造に変えていきたいと思っているんですね。そうした行動様式や思考様式が染みつくには1年くらいはかかるかもしれません。無意識の思考パターンを変えるというのは、なかなか厄介なものですから。誰かにお伺いを立てるのではなくて、自分の頭で考えて、対等な立場で考えを交換し合い、共通の課題解決へと向かっていく。そうしたプロセス自体が対話だと思っています。
 

森:役場も同じだと思いますよ。そうした見えざる前提が変わらないといけないんでしょうね。
 

稲葉:Webを介したZoom会議が広がっていく中で良かった点は、場の空気を読まずに済む、というのがあると思います。それぞれが自分の窓からひとりひとりの考えを尊重できる空間がつくられた、という意味ですが。
 

森:あぁー。確かに、そうなのかもしれないですけどねぇ。
 

稲葉:オンラインの会議では、場の空気がないですよね。場の空気を読まなくていいのは、人によってはかなり楽だと思います。

 

森:わたしはオンラインはいまだに話しづらいですね。

 

稲葉:場の空気を読みながら話してた人は、読むべき空気がないから話しづらいと感じるんです。ただ、場の空気のおかげで発言できなかった人には、すごく話しやすい空間なんですよ。
 

森:なるほどねぇ。(笑)
 

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稲葉:会議に参加する人たちの目の圧を感じずに、自分の考えを言えるわけです。これを言ったらだめだろうか、場がしらけるだろうか、と悩んで何も発言できなかった人が、話をふられた時に、あまり余計なことを考えずに自分の意見を言える。そうした環境は対等な横の構造としては最高だと思います。

 

森:そうですかねぇ。自分はいまだに難しいですねぇ。(笑)

自助でも公助でもない自治の場が立ち上がってくるときなのだと思います

稲葉:それは場の空気を読むのが上手い人だからそう感じるんだと思いますよ。Web会議の場なら自分の考えを発言できるという人も多いと思います。オンラインの場で、構造がフラットになるので、見えざる場の前提が崩れるのは良い点だと思います。風土自治で行う対話も、そうしたフラットな構造自体が一番大事で、その見えざる前提をみんなが共有することから始める必要があると思います。そうではないと、何か間違えたら犯人探し、悪者探しみたいになって、自由に発言できなくなりますよ。
対話がひらく未来 第二回で土屋裕子さん(軽井沢町保健福祉課長)と話した時にも話題に出ましたが、公的な職に就いている人との対話での一番のポイントは、公助でもない自助でもない、その間をつなぐ共助や互助の場をどう実現させていくのか、ということになるのだと思います。自助と公助という二項対立構造の中で、間をつなぐ共助や互助の場をどう創造していくのか。それこそが、自助でも公助でもない自治の場が立ち上がってくるときなのだと思います。共助や互助、そして自治の土台や地盤とはなんだろう、と、病院という組織の中でもいつも考えている課題です。

 

森:例えば、国会議員や町議員という立場が、そうした共助や互助の役割、ということになるんですかね。
 

稲葉:わたしたちの社会全体が共助や互助の地盤を失っていく中で、それは議員さんであろうとも誰でも同じ立場なんだろうと思います。自助と公助の二極に分かれてしまわないよう、何とかして間をつなぎ調整する互助の場にとどまり続けるバランス感覚が必要です。では、現代社会の中で互助の基盤となりうる場は何だろうと考えると、病院や学校が互助の基盤になりえるんじゃないかと思います。他に、文化的な観点で考えると、神社仏閣、温泉や銭湯、畑や田んぼ、山や森、そして劇場や寄席などの文化空間こそが、互助の基盤です。
病院も、投薬や治療、手術の場でもありますが、お互いが気づかい合う共助や互助の場でもありえるのではないかと。もちろん、互助の場は経済原理とは相いれない面もありますが、やはり医療の場は社会基盤でもあるわけですよね。「屋根のない病院プロジェクト」も、そうした未来の互助の場をイメージして福祉やアートを巻き込む形で進めているところもあります。

 

森:「おくすりてちょう」買わせてもらっていますよ。

 

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稲葉:ありがとうございます。役場の方にも特別バージョンの「おくすりてちょう」を販売しました。互助の場は建築物などの物理的な空間ではなくとも、こうしたプロダクトでも互助のプラットフォームになれるのではないかと考えながら進めているんですね。課題解決の一つの手段として。
 

森:役場の新庁舎という形で、物理的な空間を作っている時期ですが、この場が必ずしも公助の場だけを意味するのではなくて、今おっしゃったような互助の場として緩衝地帯が作れればいいですよね。建築のイメージにも、そうしたことが含まれていたので、やはりそうした考えを持ってしっかりと実行することが大切なんでしょうね。
 

稲葉:そうですね。対話的な場になれば、それはすでに互助の場だと思うんですよね。6月26日(日)に行う「karuizawa hospital festival without roof 2022」では、「おくすりてちょう」作成ワークショップという形式で、実際に体を動かしながらイメージの対話ができる場を構想しています。言葉で交わすものだけが対話ではないと思っていますので。
 

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森:そうした手法は、誰もが関わりやすいですよね。対話しましょう、となると構えてしまいますし、前提条件やルールを工夫しないと、独演会になりえますからね。
 

稲葉:みんなで作るという前提を共有していれば、場の構造がフラットになりやすいんです。上下関係ではなく、対等になれる場づくりを工夫してみる余地があると思っています。共助・互助の場を新しく創造していくことは、医療現場に立つ人間としても切実な課題として受け止めているんです。
 

小須田:ワークショップの形式は、すごく良いなって思いました。一緒に作る、という姿勢自体がすごく大事だなと思います。
 

稲葉:新庁舎・複合施設の建設に関するワークショップも計4回開催していて、素晴らしいと思いましたよ。第1回が『軽井沢の自然を活かした「もりの縁側」について考えよう』、第2回が『「まちの縁側」を中心とした未来の庁舎について考えよう』、第3回が『複合施設について考えよう』、第4回が『避難拠点としての複合施設を考えよう』でしたよね。複合的な視点を場の中に盛り込んでいくことで、重層的な役割を持つ場になります。
 

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小須田:一緒に作業をする行為や時間が大事なんだと思います。思いを共有するためにも。ワークショップでは、役場の窓口に実際に人が来ることは少なくなり、手続きはオンラインで済ませるようになるだろうと話されていました。その中で、役場は人と人とが繋がる役割としての場所になるだろうと。まさに、役場は対話の場になるのかなと私も思いました。窓口の手続きはデジタル化されると誰かが代行すれば済む話になります。新庁舎に求めているイメージは「笑顔」と言われてはっとしましたね。笑顔は、そこに対話がないと1人で作れるものではないですよね。そういう笑顔ある場にしようというイメージが共有されると、良い場になるのではないかと思いましたね。
 

稲葉:それは、わたしが思う未来の病院のイメージとも近いと思いました。心理的な安心や安全を届ける場として病院が存在していて、その機能の一つとして手術や投薬もある。病院が社会基盤の役割として、病院があることで場が安心で安全だと思えること。それだけでも生活の場に大きな貢献をできていると思うのです。必ずしも病院を使わなくても、存在しているだけで安心を届ける場になりたいと思います。そうした意味でも、新庁舎と病院とが根底の哲学を共有していることも大事だと思うんですね。直感で未来を先取りしているものが形になり始めている時期なのかなと思いますね。

固定観念から自由に

森:新庁舎と複合施設、そして病院、何か一体のものとして行き来が頻繁に行われるような場になれると良いですよね。
 

稲葉:わたしもそうしたイメージを持っています。ただ、役場はこうあるものだ、去年と今年も同じことをしなければいけない、などの固定観念がそうした自由な発想を邪魔してしまうんですよね。固定観念から自由になる必要はありますよね。現代に求められている共助や互助の場を新しく創造する、という文脈の中で、役場や病院がどういう存在であり得るのか、という発想こそが求められていると私は思っています。
そうした意味では、何かあると役場が文句を言われる、役人には文句を言っても良いんだ、という社会は歪つだと思います。共に創造する、となると、立ち位置は同じで担っている役割が違うだけですから。それぞれの立場、役割への敬意は礼儀として必要だと思います。

 

森:マスコミがそういう世の中へ誘導しているような気はしますよ。テレビや新聞を見ていても、何か誰かを犯人にして、その犯人と認定された立場にはどんなひどい文句を言っても良いというような、無意識の風潮を作っているように思えます。
 

稲葉:本当にそうですね。そうした大きなフレームでのイジメのような構造に、無自覚になっていると思います。子どもの社会からイジメの構造を無くすのは、大人の社会からだと本当に思います。人として礼儀と節度を持って、お互いが意見を交換し合うことが大事で、そうしたことがないと、ただの喧嘩や悪口になります。

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森:扇動と言うと、いい過ぎかもしれませんが、そうした社会の流れを恐ろしいとすら思うことがあります。新聞ですら、そうした礼節を失っていると思います。
 

稲葉:確かに、取材不足かなと思う時はありますね。思い付きや思い込みで、一面的な視点で書いていると思うケースもありますね。
 

森:社会で流れる情報を聞いた時、それがすべて正しい、それ以外は間違いだ、と単純に真偽をジャッジしてしまう人もいます。TwitterなどのSNSでも、ある人の意見をすべて信じてしまう人がいると、やるせない気持ちになりますね。
 

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稲葉:はい。そうした心のない発言が、真剣に現場で取り組んでいる人のやる気をそぎ続けているケースは多いと思います。公的な立場の人には何を言ってもいい、ということにはならないと思います。人間関係の基礎となる礼儀と節度が失われています。それは対話の最も基礎部分にあるものです。
 

森:インフルエンサーのような影響力のある人が言った事を鵜呑みにする必要はないはずなのに、無批判に受け止めて、そのまま情報を横に流す人がいると悲しいですね。Twitterでのリツィート機能が問題になっているケースもありますよね。誰かの発言をただ引用しただけでも、それはその人自身の意見や立場表明になるわけですから。そういうことに無自覚な現状がすごく怖いなと思います。
 

稲葉:やはり、公平な場であったり、対等になれる場を作るという基礎工事がより重要だろうと思います。公平性を欠いたものが自然に淘汰されるような環境整備をせざるを得ないと思います。極端な立場の人はどんな時代にも必ずいるのですが、そうした極端な意見がマジョリティーになった場合の恐ろしさは、過去の歴史が証明していると思うんですよね。
 

森:そうですね。選挙などでも、極端な意見に引きずられすぎて、短期的な視点で人選が行なわれないといいなと思います。政治は特に長期的なビジョンがもっとも大事な領域だと思いますから。現代の選挙では、誰かを敵とみなして批判するような言説が増えている気がします。
 

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稲葉:人の感情を瞬間的に誘発して人を動かすやり方は、意識的なものか無意識的なものなのか、増えている気はしますね。特に恨みや怒りなどの負の感情は、簡単に火がついて、理性を失いやすいですからね。熱しやすく冷めやすい感情は、扇動に巻き込まれやすいので要注意です。人心を動かす手法を悪用しないでほしいと切実に思います。マスコミの風潮に流されて、一般の人たちも仮想敵をつくるように知らないうちに仕向けられているような気さえします。仮想の敵は公的な立場の人だったり有名人だったりしますが、仮想敵をつくることで注意を逸らされているような気がしますね。誰かを叩くことが、良い仕事につながるとは思えませんね。わたしたちが求めているのは、社会がより良い方向へと向かっていくことだと思いますし。

 

小須田:共助・互助でいくと、風土フォーラムとか、エリアデザインの取り組みってまさにそういう位置にいるかなと私は思っています。
 

稲葉:はい。そうですね。
 

小須田:それぞれのエリアの皆さんと話していると、色々と溜まってるものはたくさん出てくるんですよね。でも、ある程度聞いたところで、少し心も落ち着いてきて、一度何かがリセットされると、じゃあどうしようか、という前向きな話に進んでいくプロセスがあるような気がしました。役場の職員だけで行えることには限界がありますが、住民の皆さんが主体的に進めていく中で、例えば書類を作るのは慣れているので、私たちがお手伝いしますね、というように、得意なものを分かち合うことによって信頼関係が生まれてきます。そうした中で、じゃあ一緒にこういう事を成し遂げていこう、という気持ちへと進んでいくのかな、と思いますね。長い時間が必要なこともあると思うのですが、こうした取り組みを続けていて良かったなと感じることは多々ありますね。
 

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新軽エリアの皆さん ワークショップ形式の意見交換の様子

 

稲葉:そうですね。敵ではなくて仲間である、という理解は前向きな話に進むための前提だとさえ思います。敵ではなく仲間と思えるような初期設定や巻き込み方にこそ、工夫が必要なのかもしれません。病院という職場でも、そうした見えざる前提を共有できる人を1人でも多く増やしたいとは思っています。敵だと思うと、人はどんなひどいことを言っても平気になってしまうんですかね。
 

森:心はけっこう痛みますね。心ない言葉を受け取ることは、かなりしんどいと思います。
 

星野:そのようなSNSを見ないという選択もありますよ。それはもう個人の見解でしかないですから。

 

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稲葉:はい。人は必ず情報に影響を受けますからね。情報の影響を受けないためには、情報を受け取らないことも一つの知恵です。

 

小須田:一方通行の世界では、そうしたことが起きますね。

 

稲葉:共助・互助の点をしっかり理解している人たちと安全で安心な空間を作っていく事が成熟した対話の基礎だと思うんですよね。
 

森:ほっちのロッヂの藤岡聡子さんと交えて対話をしたときも、役場を攻撃しても何も得るものはありませんよ、と言ってもらって、ありがたいな、と思ったことがあります。
 

小須田:そうですよね。むしろ一緒に情報を共有しながら、ではどうしたらうまくいくのだろうかと、共にアイディアを練れば、良い方向に向かえると思います。
 

稲葉:何かを取り組むときに、1年や2年は瞬発力で取り組めます。ただ、そうした力をどれだけ持続できるのか、というところを見定められていると思いますね。役場の方は、まさにそうした長期的な視点で取り組んでいる方々ですよね。例えば、私であれば病院を良くするということも、どこまで本気なんだろうと、まだ見定められている最中だと思うんです。ですから、短期的な情熱だけではなくて、長期的な視野を持ってじっくりと取り組んでいく課題は多いです。ただ、軽井沢には自然保護対策要綱という世界に誇るべきものを守ってきた歴史があり、そうした場でこそ人間のうを引き出すようなことを考えたい、と思っています。
 

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森:はい。自然保護対策要綱は、日本で一番厳しいものを要求しているものだと思います。
 

稲葉:はい。そうしたものを残したい、そして残してきた、というのはすごい価値ですね。そうした場でこそ、共助・互助となる自治的な場を作れないかな、と思いますよね。

 

森:確かにそうですよね。

良質な言葉の空間を作ることも、課題だと思っています

稲葉:共助や互助を考える時、その基礎になるのはコミュニケーションの問題だろうと思うのです。良質な言葉をお互いに掛け合う、そして人としての敬意を持って対等な関係性を大事にする、ということです。人を傷つける言葉は、何も新しいものを生まないと思います。お互いがただ病んでいくだけではないでしょうか。やはり言葉が持つ力を共に考えたいです。言葉には現実を変える力がありますし。そうしたことを、広報かるいざわで1年間書き続け、共有してきたつもりです。言葉によって人は傷つくこともあれば、元気になることもあるわけですから。良質な言葉の空間を作ることも、課題だと思っています。それは医療者という立場でも思うことです。
 

小須田:軽井沢を良くしたい、わたしたちが住んでいる場所をよくしたいという思いは皆さん同じだと思うんですよね。ただそれぞれの考え方の方向性が違うことがあり、そこで大きな声を出す人の方へ偏ってしまうケースもあると思います。ただ、こうした環境が好きで、この町が好きだ、という思いを共有しながら、どういう形でお互いが歩み寄り、寄り添っていけるかがすごく大事なのだろうと思います。そういう同じ立場の視点からも、役場が何か出来る事は無いだろうかと考えています。
 

稲葉:これだけ人工的な情報が溢れている中で、判断の物差しがよくわからなくなっていますよね。そうした自分自身の物差しをつくるためにも、まずは言葉の使い方や対話のルールと言った、対話の物差しとなるものが必要なのだと思います。わたしも微力ながら、本や文章を書くことで、そうしたことに貢献したいと思いながら、文章を綴っているところがあります。それが精一杯のことですね。ドイツのルターが「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」と言ったのも同じようなことだと思います。
 

森:行政がどういう風に関わることで、理想とすべき自治にたどり着くのか、ということは長く続いている課題でもあると思いますね。風土フォーラムも平成28年度からで、7年目ですね。新軽井沢、中軽井沢、旧軽井沢、追分、南地区という5つの代表するエリアデザインをつくり、令和元年度より具体化に向けたエリアデザイン運営会議を立ち上げています。でも、やはりそう簡単には考えはまとまりませんよね。
 

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星野:自助と公助の間としての互助や共助という話がありました。まさに谷間となっている場所ですね。この5つのエリアでの会議も、そういう間をつなぐ役割なのだ、ということを明確に意識して進めてもよかったのかな、と思いましたね。それは自分が個人的にやりたいことでもなく、行政がやる仕事でもなく、その谷間となってしまっていることを考えましょう、ということですね。そして、地域のイメージとしても、これから先の子供や孫といった子孫に向けて引き継いでいくことを明確にしてもよかったな、と思いましたね。中間や間、そこが欠けている、ということ、間をつなぐ、ということ、その辺りがエリアデザイン会議で大事なテーマになるのかな、と思いましたね。
 

稲葉:個人個人が色んな考えや意見を持っている中で、みんなが総評論家のようになっては困りますよね。自分の考えであれ他者の考えであれ、個人が持つ具体的な思いをどう抽象化させていくのか、というのは、やはり対話を深く意識しない限り、ただ話して終わりました、となりやすいと思いますね。創造的な対話になるためには、わたしが病院内で対話の会を行った時にも、対話のルールを三つだけ設定しました。未来を語る、断定しない、相手を尊重する、この三つです。あと、ファシリテーターは、全員に平等に意見を言える時間を確保する。もちろん、言いたくない場合はパスしても大丈夫、というサブルールもつけました。対話は、ルールがないと創造的にならないんです。喧嘩とボクシングの違いは、そこに前提として共有するルールがあるかどうか、の違いだけで全く違うものになります。お喋りと対話の違いと同じです。
 

森:なるほど。確かにそうですね。会議で言いたいことだけ言って、すっきりして終わりとなりやすいですよね。
 

稲葉:この人は意見を言わないだろう、と勝手に決めつけず、平等に一人ずつ意見を求めてみると、場が自由でさえあれば何か意見を持っていることの方が多いと思います。対話の場でのルールを明確化して共有することがスタートだと思いますね。対話の可能性に関しては、あらゆる領域の人が色々な角度から研究しているんですよ。紛争地域の対話もあれば、教育現場や医療現場での対話もありますし。
 

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森:話というのは、どれだけでも風呂敷は広がっていくのですよね。そこで単に面白かったね、で閉じて終わるのか、そこから新しい可能性が生まれて場が開かれるのか、そこには何かの違いがあるんでしょうね。
 

稲葉:対話の奥深さを理解できる職員がもっと増えれば、組織はもっと良くなるだろうな、と思います。組織を方向付けるために、一番簡単で安易なのは、力でコントロールすることでしょうね。それは軍隊型の組織です。そういう組織の時代は過去のもので、今後はフラットで水平な場の構図の中で、対話によって関係性が深まる創造的な場を常に意識していくことこそが必要ですね。
 

森:対話する場所自体を大きく変えてみるということも大事ですよね。稲葉先生が、町民講座「個人の健康、場の健康を共に考える」の講演をした発地市庭のイベントスペースも、隣には野菜の直売所もあって、風も通り抜けて良い場所ですよね。森の中の保養所やタリアセンの睡鳩荘(すいきゅうそう)など、場所を変えてみると、色々な意見が出ることは大いにありますね。
 

稲葉:はい。わたしもそう思います。別の言い方をすれば、わたしたちは無意識に場所の影響を大きく受けていて、考え方自体も制限していることさえあるということですよね。

 

森:場所が常に変わると、設営は大変にはなるんですけどね。

 

稲葉:おっしゃる通り、共助の場になりうる場自体を探していくことはすごく大事だと思います。例えば、公民館や役場の会議室で行うとなると、すでにその場自体が公助のテリトリー内だということを間接的に表現しているとさえ思います。そうした共助に適した場所を探す中で、例えば、この私有地を共助の場として開放したいという思いを持つ人が現れるかもしれませんから。軽井沢にはそうした可能性を持つ場自体が隠れていると思いますよ。
 

森:軽井沢にはサロン文化というのもあります。サロンは個人宅の客間を開放して、文学・芸術・学問などの文化について自由に談話を楽しむ場のことです。これも、ある意味では私有地を共有地に、コモンな場へ開放しようとする考えのことですよね。東京では出会わない人たちが、軽井沢の別荘では気軽に会いやすく、しかも話がまとまってしまうことが多いとか。ただ、それが別荘利用者だけで閉じるのではなくて、地元の人も含めて多様な場にならないと、閉鎖的な世界になってしまうのかもしれないですが。
 

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稲葉:地元の人が入ってきやすい場、という意味では、先ほど出た発地市庭のような、食の場は普遍的でいいのかなと思いますね。病院や学校も、共助や互助の場であり、「common(コモン)」の場に進化していくだろう思っています。
私有地をコモンな場として開きたいという思いを持っている人たちを仲間にして、少しずつ共助・互助の場を増やしていく工夫が必要なんでしょうね。
学校で「子どもたちの放課後をどうしよう」という話がありました。そこで出た話題が、何か問題が起きたら学校スタッフの責任なのか保護者の責任なのか、という責任問題の話が出たんですね。ただ、大人目線ではなくて子ども目線からすれば、放課後は親の管理下でもないし学校の管理下でもないからこそ放課後であり、だからこそ自由で楽しい貴重な時間なわけですよね。誰の監視下でもない、言ってみれば子どもだけの世界が放課後なわけです。そういう時間がだれの管理下で誰が責任をとるのかとして考える発想自体がそもそも違うのではと思いました。例えば、森の中で、石にひっかかって転んでも「誰の責任だ」とはなりませんが、学校の中に石があって転んで血が出たら、「誰の責任だ」となります。そうした世界で埋め尽くされていることに、実は私たち自身も知らず知らずに苦しんでいるのではないでしょうか。子どもは特にそうです。

 

森:なるほど。確かにそうですね。

 

稲葉:放課後が親の管理下でも先生の管理下でもないとすると、「自分達でルールを決める」場になるでしょうね。そうしたルール作りこそが、知恵の出しどころで、共同体の原型ですね。そこで中心に据えるものは、公平なのか、安全なのか、自由なのか・・・わたしたちを生かすルールも生まれれば、わたしたちを阻害するルールも生まれます。そうしたルールを考えるプロセスこそが学びですね。いま、子どもたちの放課後がないように、きっと大人たちの放課後もないんですよ。

 

森:確かに。わたしたちも誰に管理されているのか、よくわからない状況はありますね。

 

稲葉:親からも学校からも(管理されない)自由な場だからこそ、そこに価値があるわけですよね。自由であることの良さと辛さを同時に学ぶ必要があるわけです。そして、人が集えば必ずそこにはルールが生まれ、それこそが条例や法律の種の部分です。社会の課題も、大人の放課後の世界をどう創るか、という風に考えれば、少し発想が変わる気がします。それはまさに自治的な共助の世界ですね。

 

森:今は、とにかく責任、責任となり、発想自体が不自由になっている気はしますね。

 

星野:実際、責任を誰がどこまで取るのかを最初に考えて議論する場面も多いですね。
 

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稲葉:自治的な場では、集まった人たちがルールを決める、そのこと自体に大きな意義があると思いますね。ルール作りや前提作りに責任を持つ、ということは通常の「責任問題」とは少し意味が変わってくると思います。ルールは常に与えられるものばかりではなく、時につくるものです。その小さい実践の一つが対話の場のルール作り、ということになると思います。
対話がひらく未来の第二回では、土屋裕子さん(軽井沢町保健福祉課長)と福祉にまつわる場の話をしました。共助や互助の場としてのコモンズの場の中で、ドラえもんで土管が置いてある空き地の話をしました。あの場は管理者がよく分かりませんし、土管も用途が無いからこそ、そこでみんなが遊ぶこともできるし、何もしないこともできるわけですよね。それはすでに自治的な場であり、子どもの放課後の場ですよね。誰でも居場所が必要なんですよ。
もし大人の放課後が存在するとしたら、わたしは医療分野の特殊技能を持つ単なる一人です。役場の人も、公的な仕組みを知った特殊能力を持った一人です。フラットな場の中で何か特技や能力を持った人が集っている。肩書きではなく、特技を持つ人として参加すればいいと思います。特技がない、という人も、必ず何か力を持っていると、わたしは思います。何もしない人でも、何もしない力を持った人です。余白を生み出す力を持った人ですから。

 

森:軽井沢22世紀風土フォーラムをやる中で、各エリアへ行って話しますよね。50年後や100年後の未来なんて考えたことなかったなぁ、という正直な話からはじまりますよね。そもそも、ここにいる人たちは誰もいない未来なんだね、と。そうしたことを共有すること自体が大事なんだろうなと思っています。それぞれの自治会でも予算や決算があって、来年は何をやろうかという事は当然考えているわけです。そうした来年のことを考えている場の中で、100年先の話が出てくると、面食らうという感じです。そこで回数を重ねる中で、共助のような考えがゆっくり立ち上がって来る感じがしますね。まちづくりは行政の仕事でしょう?から始まって、いや、ここに住んでる人たちでまちづくりもしないといけないのでは、という話しになり、その辺りから一緒に考えましょう、という土台に立てる、というような。動きは遅いと言われるかもしれませんが、やはりそういう時間こそが自然なのかもしれません。もちろん、何か差し迫った危機感がないと人はすぐには動かない、という面もあるかとは思いますよ。ただ、スピードは本当にそれぞれ、という感じですね。
 

小須田:やはり50年後や100年後は誰にも分かりませんよね。私も分からないというのが正直なところです。ただ、この今を良くしていきたいという気持ちは誰でも同じで、その気持ちと100年後をつなげる時期なのかと思います。自然保護対策要綱も、結果としてそういうものになったと思うんですね。当時も今を良くしたいという思いを持つ人たちがいて、そのことをどうルール作りするか、という結果が、今の自然保護対策要綱という形になりました。過去を振り返ってみて良かったなぁと思うことと、今を良くしていきたいという気持ちが未来につながって、時代が先に進んだ時に振り返って、あの時代の人たちがこういう決断をしてくれて良かったねって思える日を想像するしかないのかな、と思います。エリアデザインの会議に参加して2年ぐらい経ってからそうした気持ちになったと言われたこともありましたし、時間がかかる面は間違いなくあると思います。

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稲葉:塩沢で五井野さんが中心となってやっている軽井沢ネイチャークラブに私も参加させてもらっていますが、そこでみんな共有できるイメージは、「蛍が住める場所を作る」ということかと思っています。蛍のようなか弱く美しい生き物が住める場所は、人間を含めて多くの生き物にとって生きやすい場所ではないかと思います。それはやはり50年後や100年後の未来のイメージと重ね合わせ易い気がするんですよね。当たり前のように蛍がいて、人と蛍が共生していることを特別とも思わない時代。色んな命が対等に生きる場所作り、ですね。その一環として、畑や田んぼや森の木を計画的に伐採することがあります。長期的なイメージを世代を超えて共有するために、蛍という生命のイメージを共有することはとてもいいなと思います。では、そういう地域をつくるために、今日はどのステップなのか、この一年はどういう段階なのか、と考えて行くと、具体的な行動ともつながりやすいのかな、と思うんですよね。どこに人間の住まいをつくるのか、なども、結局は自然保護対策要綱が掲げていることと本質的に近いものになるのではないのかな、と。

 

森:五井野さんの取り組みは良いですよね。発地にもホタルの里があり、ホタルという言葉だけでも、わたしたちの心の深い部分に影響するものがあると思います。
 

稲葉:はい。蛍は平安時代からも和歌でよく謳われているテーマですし、人の魂のメタファーとしても詠まれていたり、何かわたしたち人間と強い親和性を持っていると思います。和泉式部の「もの思へば 沢のほたるの わが身より あくがれいづる 魂(たま)かとぞ見る」もそうです。
 

森:五井野さんがされていて良いなと思うところは、地元の人を巻き込んでやっているところだと思います。気が合う友人たちだけ、ではなくて。そうそう、お米も作っているんですよね。農家の人でも大変ですから、すごいですよね。

 

稲葉:本当にそう思います。多様な人と共に行動するには対話が必要になると思いますね。蛍、畑、田んぼ、という共通の土台は、やはり同じ地平に立てる地点なんだと思いますね。お米もお金のためではなくて、共助の場としての田んぼであり、その共通の成果物としてのお米ですよね。お金には還元できない、全く別の共同体の意義がありますね。50年後の未来が、荒れ果てた殺伐とした風景ではなく、ホタルが自由に飛び交いながら、水と緑と光に溢れた社会のイメージは共有しやすいと思います。もちろん、過去は虫や動物の被害も大きかったのだと思いますが、共生のための距離感も含めた人類の知恵も蓄積されていると思いますし。
 

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星野:そうですね。そういう意味では今まさに、対話中、という時点なんですよね。

 

小須田:今は、未来のイメージを共有するための対話の時間なんだろうと思います。

 

森:今まではバラバラだった人たちが、意外な繋がりの中でまとまってきている気もしますし、それだけでも成果の一つと言えると思うんですよね。そうした人の動きをつくるだけでも意義があると思っています。
 

稲葉:以前は、トンボが飛んでいるとかホタルが飛び交うとか、田園風景を残したいと思わなくても、それは勝手に残っていくものだったんでしょうが、今はどちらの未来に向かうのかを強くイメージして決断しないといけないんだと思います。流れるプールにただ流されて行くと、期待していなかった未来へと運ばれてしまう。潮の流れを読み取る時期なんだと思いますね。

 

森:軽井沢もそうですね。地球規模の気候や社会の変動の中で、将来の展望を行政だけではなく、誰もが共に考える。考える共通の土台作りなんだろうと思うんですね。
 
稲葉:とりあえず去年と同じことを今年も続けて行けば美しい社会が残る、という時代ではなくなったのだと思います。何もしないことが美しい社会を維持するのではなく、何かをすることでしか美しい社会は維持できない時代ですね。場に流されてうまくいっていた時代は、個人は何も考えず流れに乗るだけでよかったのだと思いますが。そこで大事なのが短期思考ではなくて長期的な思考で、そのことと風土フォーラムで掲げている100年単位のイメージが、すごく重要な意義があると思います。

 

森:町全体を包括的に見る視点と、それぞれのエリア地区での活動は、サイズ感が違う活動ですね。どちらの視点も必要です。これからも今の軽井沢が軽井沢であり続けるために、軽井沢はどうありたいかを常に投げかけていきたいと思います。
 

稲葉:個人か役場か、ではなく、どういう風に個と個が自助のグループをつくっていけるのか、そこに尽きますよね。わたしも新しい単著、「いのちの居場所」(扶桑社)を書きましたが、本の内容も、個と場がどういう関係性がいいのかを探るために書いたところがあります。その時に、共にルールを作る、その土台作りが大事なんでしょうね。病院も、今の機能だけではなく、「屋根のない病院」という広いイメージで捉えられるといいなと思っています。
 

森:難しい課題こそ、是非やっていきたい課題ですね。対話の場も、自治的な形で出来るといいんでしょうね。
 

小須田:役職や立場に関係なく、対等にそのプロジェクトに参加できる仕組みが作れると良いです。

 

稲葉:はいそうですね。みんながその形を探していると思いますよ。フィンランドは34歳の女性が首相になれる国で、そうしたことが実現する仕組みづくりが、まず素晴らしいと思います。そして、マリン首相(フィンランド)の記事を読み、その言葉もすばらしいと思ったのです。「フィンランドを誇りに思う。貧しい家庭の子でも十分な教育を受けられ、店のレジ係でも首相になれるのだから」「社会の強さは、最も豊かな人たちが持つ富の多さではなく、最も脆弱(ぜいじゃく)な立場の人たちの幸福によって測られます。誰もが快適で、尊厳のある人生を送る機会があるかどうかを問わなければなりません」
国という場は、立場が脆弱な人たちが幸福である環境を整えることだとおっしゃっています。こうした素晴らしい取り組みは世界中にあり、そうした実践や挑戦を、私たちは常に学び続ける必要があると思いますし、そこにこそ希望があると私は思います。今回は長い時間の対話、本当にありがとうございました。

 

森:こちらこそ、ありがとうございました。

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(文字起こし:検査科 荒井美幸、校正:院長 稲葉俊郎、庶務係 佐藤大晃)

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