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対話がひらく未来…「第一回 稲葉俊郎・須長檀」

更新日:2022年04月26日

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2022.04.06 :ラッタラッタル軽井沢センター アトリエを見学後、コンセプトショップにて対談

 

稲葉:よろしくお願いします。これまでは広報かるいざわでは、わたしがエッセイのような原稿を書いていたのですが、今後は対話・対談方式にしたいと思い、今回の提案となりました。これからは対話、ダイアローグが重要な時代になると思ってます。職場内部でも外部の方ともトラブルが起きた時、対話が解決の鍵だといつも思うんですね。トラブル対策で物事を考えると、発想が逆になってしまい健全な職場とは言えません。例えば、病院の内部と外部とがまるで対立した空間のような考えになってしまうのです。そうではなく、対話により共に協力して創り上げていくことをスタートのイメージとして共有する。トラブルが起きた時にも、友好的で協力的な関係性の中で、より高次なものを一緒に作っていくプロセスと考えて、よりよいものにしていく。そういう共同の創造プロセスの前提に立つと、関係性は対等ですし、そこには対話が必要であると思うのです。
病院という医療の場も色んな場との関係性の中で存在しています。病院の新しい立ち位置や役割、外部との新たな関係性を探していきたいです。お互いの考えを言葉にして文字にすることは、ある種の責任もうまれます。そう言う意味でも対話の可能性や言葉の力を信じたいと思っています。

 

須長:なるほど、そういう意図があるんですね。
 

稲葉:それで第一回目として、須長さんをお呼びしました。須長さんと世界に一つの「おくすりてちょう」を作らせてもらい、連載の入口として、なぜこうしたものをつくろうと思ったのか、その背景にある思いを共有しながら、その残響音を響かせるような対話にしていきたいと思っています。よろしくお願いします。
 

須長:こちらこそ、よろしくお願いします。記念すべき第一回目で光栄です。
 

稲葉:病院のスタッフにも、そうした共同創造のプロセスに関わってもらいたいと思っています。今回は事務の佐藤さんと検査科の荒井さんにも手伝ってもらっています。ありがとうございます。部署を横断したプロジェクトはなかなかないんですよね。
 

須長:なるほど、そうなんですね。

 

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稲葉:上の命令で動くという軍隊のような組織ではなく、みんなが自分で考える自立的なチームでありたいと思っています。
 

須長:いろいろとお話しできることを楽しみにしています。

 

 

デザインの文脈であれば誰もが一緒に仕事が出来るんじゃないか

 

稲葉:須長さんと何かものを創ってみたい、と思ったのが今回の「おくすりてちょう」のプロジェクトの入口です。須長さんのものづくりの姿勢や質の高さ、未来の可能性をあらゆる点で感じていました。わたしは医療職ですが、医療と芸術の架け橋を模索してきました。ものづくりをされている中で、須長さんは独自のポジションにいる方のように感じています。物を作る、何かを生み出す、というのは、人間の本能的な欲求だと思うんですね。そうした個人的な衝動を、私たち人類の共同体や社会のあり方、と深い井戸を介してリンクさせようとしてる人だ、とわたしは感じました。人間が持つ創造行為への衝動、美しいものを作りたいという衝動。そのことが、共同体や社会をよりよいものにしていく創造行為と地続きになれば、個と場との美しいあり方だと思うのです。
そういう挑戦を、肩ひじ張らず、肩の力が抜けたリラックスしたスタイルで実践されているように感じました。そのことが須長さんと何か一緒にお仕事をしたい、と思ったきっかけです。

 

須長:ありがとうございます。ただ、本当に正直言ってしまうと、あまりそうしたことを最初から掲げてやってきた、というわけではないんですね。僕もこのRATTA RATTARR(ラッタ ラッタル)の活動を始めて5年くらいなんですが、それまで障がい者の方と関わったことはほぼなかったんです。たまたま、株式会社チャレンジドジャパン※1からお手伝いしてくださいとお声掛けいただいたのがきっかけで、色々と本を読みだしたり展示会に行きだしました。
※1チャレンジドジャパン…すべての人が役割を持ち認め合える社会の実現を目指し、一人ひとりが輝けるステージを作るため、障がい者の就労支援、デザイン、教育事業を展開している会社(https://ch-j.co.jp/) 

 

組織や社会の仕組みの興味から入ったわけではなく、純粋に彼らの描いてるものが素晴らしい、面白いという純粋な興味が入り口だったんですね。ただ、色々と障がい者の方の仕事のあり方を考えていたときに、現状での問題点も分かってきました。
ちょうどアールブリュット※2とかが大きく取り上げられてきた時期です。ある意味では、アールブリュットが逆にアマチュア化していくようなことが逆向きに進んでしまっていたように感じられる時期でもあったんですね。

※2アールブリュット…生の芸術意味。第2次大戦後、J.デュビュッフェは,幼児,精神病患者,囚人あるいは完全な素人などの人々が純粋に自己の楽しみで制作した作品を収集しこう呼んだ。


私自身も正直な話、障がいのある人はみんなアールブリュットの作家のような作品が描けると勘違いしていました。でも、本物のアールブリュットの世界の方は、何事でも同じで何万人に一人の天才が描く世界、という点もあるんですね。誰もがああいう絵を描くわけではないんです。
 

稲葉:はい、分かります。

 

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須長:アールブリュットの運動の中で、日本だけの現象なのかどうかは分かりませんが、どうしても公共の役場などが関わり始めたときに、その本質をうまくつかめていないために見当違いな扱いになっているケースも感じました。誰もがアールブリュットの世界に関わり始めること自体は悪いことではないと思いますが、障がいのある人が何かを描けば全部アールブリュットなんだ、という勘違いが起きると、アールブリュット自体がファインアートの文脈からまた離れていく、という現象も起きて。そうした事態は問題だとも思っていました。じゃあ本当の天才のような、アールブリュットの世界を表現できない人以外は、この世界にどう関わっていけばいいのかと考えた時に、“デザイン”という関わり方があるんじゃないかと思ったんですね。アートの天才ではなくても、デザインの文脈であれば誰もが一緒に仕事が出来るんじゃないかと。私が元々デザインの畑にいて、問題解決としてのデザインを考えていたこともきっかけでしたね。
 

稲葉:アールブリュットはすごいエネルギーを炸裂した奥深い世界ですが、これまでは全く光が当たらなかったジャンルでもありました。美術史の中にも入ってきませんでした。ただ、だからこそ、非社会的な個人の芸術が、王道の美術史の社会という枠の中へどう交わっていくのかに凄く興味がありました。
ただ、アールブリュットと美術の流れが交わる過程の中で、お役所的で安易な発想、オリンピックやSDGsにはめこもうという浅薄な発想も溢れていたわけです。要はカテゴリーに押し込んでいく部品として考える発想ですね。SDGsのカテゴリーに入れれば、うまくはまる、など、そうした小賢しい処世術の発想で扱われることで、公的事業の便利な部品としての取り扱いになってしまうんですね。

 

須長:そうですね。
 

稲葉:もちろん、そうして現実の社会で揉まれることで、試行錯誤しながら独自の位置づけを見つけていくのかな、とも思っていましたが。わたしが2020年の山形ビエンナーレの芸術監督を拝命したときも、アールブリュットを扱いたいという強い気持ちはありながらも、すごく好きで敬意を持っているがゆえに、そう簡単に扱えない気持ちもありました。ですから、2020年は見送ったんです。

やはり、人間が持つ本当に純粋でかつ荒々しいエネルギーは、周囲の扱い方次第でもあるために、劇薬注意みたいなものでもあるんですよね。
 

須長:はい。そうですね。
 

稲葉:人間の内なる衝動とエネルギーが適切な方向へと向かえば創造行為にもなりますが、一歩間違えると狂気の奈落へと落ち込んでしまうこともある。人間の魂において本当にセンシティブな問題だと思いますが、わたしもどういう立ち位置で関わればいいのか、迷いました。それは興味本位なのか、医療なのか、福祉なのか、芸術なのか、それとも一人の生きる人間としてなのか。そうした自分自身の立ち位置が問い直された時に、悩みました。そう考えると、須長さんは全く別の文脈の中で肩の力を抜いてリラックスして、一つの方向性や在り方を社会に提示していると感じたんですね。
 

須長:うん。うん。そう言っていただけると、凄く嬉しいですね(笑)


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人と人との対等な目線

 

稲葉:ともすると、障がい者の作ったものだから買ってあげよう、という上から目線の構図になりやすいじゃないですか。
 

須長:そうですね。
 

稲葉:そうではなく、やはり対等なんだ、という立ち位置になるように初期設定が大事だと思うんですね。共同で行う物作りのプロセスや、出来上がった作品を見ていると、やはりそこには初期設定としての場を設定した須長さんの人間性が透けて見えるんですね。人と人との対等な目線のようなものですが。
 

須長:最初に始めたとき、「二人で一つの物を作ろう」という考え方を基礎にしたと思うんですね。福祉の支援というと、学校の先生と生徒、親方と弟子、のように縦の上下関係の構造がありますよね。そうした垂直の縦関係ではなく、水平の横関係のように、寄り添ってお互い助け合う関係性が作れればいいな、というのがりました。稲葉先生の著書「いのちを呼びさますもの」(アノニマ・スタジオ、2017年)の中にも記載がありますが、優れたアーティストは「深さ」だと思うんですよね。深み・深さを潜れるかどうかが優れたアーティストであるかどうかだと思うんです。

ただ、やはり一人で深く潜れるのは、本当に天才である限られた方です。ただ、だからこそ「二人の人間ならば深く潜れる」人もいるのではないかと考えていたんですね。言うなれば、支援側は表層の部分と少し深いとこまで潜れる人間で、ここにいるクリエイターたちは本当に深いとこまでフッと潜ることが出来る人間なんですよね。
 

稲葉:はい、よくわかります。
 

須長:その中間層で上手く交わりながら物を作れば、もしかしたらもっと人を感動させるような素敵なプロダクトが作れるんじゃないかって考えたんです。上下関係ではなく、「二人で一つの物を作ろう」という考え方が基礎にあります。
 

稲葉:浅瀬と深海の表現はすごく分かりやすいです。わたしも、人を感動させるものと感動を生みださないものの違いはなんだろう、と考えたことがあるんですね。例えば、ピカソがさっと線を描いただけで、すごく心を動かす線になるわけです。その違いは、やはり作り手の心の深さとしか言いようがないものですね。この自然界や人間界含めた森羅万象をどういう深さで捉えているかどうか、深さを一回くぐった上で表に出てきているかどうかの違いが、「質」としか呼べないものに変換されているのかな、と思うんですね。画家の線だけではなく、達人の所作や挙動にも深さがあります。医療者として思うのは、逆にその「深さ」につかまってしまい困っている人とも出会うわけですね。時には病だったり、時には社会への不適応として。
 

須長:確かにそうですね。
 

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稲葉:普通に生きている人は、生きていること自体に深く悩みません。悩む必要がないわけです。ただ、世界の「深み」を生きている人は、ひとつひとつつまずいてしまうわけです。例えば、現代社会では出世する人は人間関係がうまくて処世術に長けています。器用に社会を渡り歩けるわけです。一方で、この世界の存在のもっと深いところにとらわれてしまっている人は、そうした表面の人間関係の処世術ではないレベルで悩み苦しんでいます。表面的には社会に不適応な人と烙印を押されたりするわけですね。
 

須長:はい、その通りだと思います。

 

 

浅い場所と深い場所 出会って交わる中間層で手を取り合う

 

稲葉:そうした「深み」につかまって止まってしまった人をサポートしようとするとき、現代医学が無力のこともあります。ただ、芸術や音楽など、むしろその深さにとらわれた人しか見えない風景の作品からは、私たちが感動したり、生きる力を受け取ることもあるわけです。自分はそうした一見すると異なる世界にうまく橋を架けることはできないだろうか、ということが課題として持ち続けているんですね。
 

須長:なるほど。そういう観点で見ているんですね。
 

稲葉:須長さんがおっしゃるような「深い場所」にすっと潜れる人と、浅い場所や中間層を自在に行き来出来る人が、出会って交わる中間層でうまく手を取り合う。そのことで、その二人でしか生み出せない深さや幅が生まれるんでしょうね。
 

須長:はい。その通りです。


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稲葉:それはわたしたち医療者が行っていることと近いと思います。医療者も浅い場所だけで生きていると、中間層や深層で苦しんでいる人に何の手助けもできませんが、苦しみの中間層や深い場所まで共感しながら潜れれば、その交わりによって共に地上に浮上できることがあります。わたしが医療現場で抱いているイメージと、同じようなイメージを持って創造行為に携わっていると思いますね。
 

須長:その話を聞いて改めて興味が湧いたところとしては、なぜ稲葉さんがそうして深く潜ることが出来るのか、そのきっかけのようなものがあれば伺いたいです。
 

稲葉:私が、そうしたことを明確に意識したのは、最初の単著「いのちを呼びさますもの」(アノニマ・スタジオ、2017年)を書いた時です。本当に自分の言葉で表現するためには、自分の存在のルーツに繋がらないと意味がないなと思ったんです。自分の魂の底から書くべきものを見つけたいと思ったときに、幼少期の過去の記憶を遡っていったんですね。本の冒頭でも書いてありますが、3~4歳頃の生死を彷徨っているときの原体験の記憶が浮かんできました。そのときに、自分はこの風景が今の仕事の原点だな、と思ったんですよね。
 

須長:うん、うん。そうなんですね。
 

稲葉:この世とあの世とは背中合わせにぴったりとある。生死は反転する近さで存在していて、もし自分が死んでいたらこの世界はどう見えるんだろう。そんな視点が今でも残っているんです。こうして生きていても見える風景には黒い穴が実は空いていて、その黒い穴を通ってしまうと、もうそこはあの世へ通じている、というような。吉田兼好が『徒然草』で「死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。」、つまり「死とは向こう側からやって来るものではなく、いつの間にか後ろに迫っているものなのだ。」という感覚ですね。そこが存在の「深み」を見たきっかけかな、と思っています。

何気なく生活していても、核戦争が起きて世界は一瞬で消滅するかもしれない。その場合は地球上の誰もが自分は死んだとさえ思わない。そんな危険性と隣り合わせの世界を生きているわけですよね。子供のとき考えるようなことを、わたしは日常的によく考えるんですね。儚さ、無常、という言葉なのかもしれませんが。だからこそ、そうしたレベルで苦しんで社会に適応できない人がいるとしたら、共感してしまうんですよね。
 

須長:あぁ。確かに。


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稲葉:そうした哲学や宗教が扱う事柄に関心があり、本を書く行為の中で改めて気づいたと言いますか。そうした経験からも「文章で書く」行為は自己治療や自己発見としても良いと思いますよ、ってアドバイスすることもあります 。
 

須長:それは面白いですね。
 

稲葉:もう死にたい、生きてる価値がないって思って苦しんでいる人の中に、この人は文章を書いて外部化して外に排出すればいいんじゃないかと思うことがあります。一度死んだ気持ちになって、そちら側から自分が書きたいことを書き連ねてみたらどうですか、わたしはそういう文章読みたいですよ、と声をかけたこともあります。実際、そのまま生き続け、すごい文章を書いて渡してくれる人いますよ。書くことで落ち着きました、と言われたり。
 

須長:あぁ、そうなんですか。文章にすることは、そういう効果もあるんですね。そういう観点で考えたことはなかったです。
 

 

人間が治癒するとはどういうことか

 

稲葉:そうした現象も人間が治癒するとはどういうことなのかと考えるきっかけの一つですよね。内側にあって溜まっているものを、苦しみを文字化して外部化することで、その人の内部の組成が変わるんでしょうね。
 

須長:そういうことは確かにあると思いますね。
 

稲葉:それは物作りにも通じる、人間の根源的な場所が関わっている気がしますね。人によっては文字でのアウトプットがいい人もいれば、声や動きかもしれませんし。そこに個性がありますね。

 

須長:そうしたお話を聞いてると、僕らのようにデザインの仕事していればアウトプットの機会はすごく多いんですが、なかなかこう普通の生活をしていると、純粋なアウトプットの機会が凄く少ないんだと思いますね。アート作品や音楽作品のように、自分の中から湧き出てきたものが、すぐに創造行為と結びつけることができるかは難しい面もありますが、それもある種の経験やトレーニング次第だとも思いますね。仰っていたような、内部を外部へと表現する機会がもっと日常に溢れていたり、敷居低く誰でも経験出来たりすることが大事なのかもしれません。そうしたアウトプットを色んな方が行える場の準備やきっかけ作りができたらすごく素敵なんだろうな、と思いながらお話しを聞いていて思いました。
 

稲葉:やはりRATTA RATTARR(ラッタ ラッタル)さんの活動で素晴らしいと思うのは、そこに絵具があり、キャンバスがあり、紙があり、人間の創作意欲が一番引き出される環境や前提の作り方が素晴らしいと思うんですね。誰もが創造性を引き出せる場所と言いますか。でも現代社会は忙しすぎたり場所が無かったりして、その初期条件にセッティングするまでの余裕がないんですよね。
 

須長:そうですね。確かに余裕がないと思います。
 

稲葉:あまりにも合理的に世界がなり過ぎたせいで。創造を生み出す余白がないんです。

だからそうした適切な場の設定で人間のよりよきクリエイティビティが目覚めるのであれば、そうした場の初期設定こそが実は現代社会に欠けていて必要なものなのかな、と、現場を見学させてもらって改めて思いました。

 

 

場所と時間をつくることが重要

 

須長:私たちもどうしてこんなことが出来るんですか?とよく聞かれますが、基本的にはおっしゃった通りで、空間と時間さえあれば出来てしまうんですよね。それは、稲葉さんもお知り合いかと思いますが、Noism(ノイズム)という舞踊団のリーダーでもある金森穣さんがダンスの世界で実践されていると思います。専属のレジデンシャル・カンパニーを作り、同じメンバーが毎日同じ場所でトレーニングをする。そうした場所と時間をつくることが何よりも一番重要なんだという話をされていました。

僕もその考え方にすごく影響を受けていると思います。やはり始めるならば、場所と時間を確保して作ることが大事だ、という言葉は指針になりましたね。


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稲葉:須長さんがされている場の設定は、初期条件の作り方が絶妙なんだと思いますね。何か物事が動き出すときに、必要な初期条件が何個かあると思います。最低の初期条件さえそろえば、あとは勝手に交わりはじめ化学反応が起こり続ける。そうしたプロセスが動き出す初期条件のデザインは、まさに組み合わせで無限の多様性を生みますよね。
 

須長:ありがとうございます。でも、なんでしょうね。今回のお薬手帳というテーマも、すごく面白いテーマをいただいたなと思っていたんです。かたちに落とし込んでいくのが難しいテーマでしたが、逆に僕個人の解釈をクリエイター側に伝えすぎるのもよくないと思ったんです。もっと手前の部分で彼らがより自由に解釈出来るような場や状況を作るにはどうしたら良いかを考えましたね。
 

稲葉:うん、うん。
 

須長:僕自身が考えすぎない、与えすぎない、って節度は、いつも自戒として持っていますね。
 

稲葉:今回の「おくすりてちょう」のデザインは、あるイメージがあって、その共通のイメージで作っていただいています。それは次のテーマに移る時に発表していこうと思っていますので、ここではあえて言いません。最初のテーマは「かたち」があり、その制約の中で色やイメージで遊ぶという世界でしたが、次の配布のときのイメージは、逆に「かたち」そのものが無いのですが、ただそれぞれには頭に浮かぶイメージは個別にあるわけです。そうした初期条件をいかに自由に創作につなげるか。そうした個別に頭にあるイメージと創作の架け橋に、今回はスライム状のものを筆のように準備して、クリエイターのイメージを投影しやすい素材として選んだわけです。そうした工夫が、場の提供側にとって最も大事なんですよね。現場を見させていただき、本当に学びになりました。イメージを無限に膨らませる素材や道具をどう選ぶのか、そのセレクションが須長さんのプロの仕事だな、と改めて思いました。想像の内側ではなく、想像をこえるものを生み出す場の設定が素晴らしいんですよね。
 

須長:そうですね。僕が想像しているものをいつも超えてくれます。いつもなんです。そういう信頼関係が出来ていることもすごく大きいと思います。常に驚かされるんですよ。僕の準備がやり過ぎてしまうと、想像をこえた裏切りが出てこない。どうやって裏切ってもらうのか、そしてそのことを自分自身が一番楽しみにしているんです。
 

稲葉:やはりそのスタンスが素晴らしいです。ある意味で、対等な関係だし、勝負のように真剣勝負でありながらお互い楽しめあえる友好的な関係性ですね。管理型の発想で、こう作ってほしいという色気や欲を出さず、むしろそうした個人のエゴが顔を出すことを注意・警戒する姿勢のように思えますね。
 

須長:うん、うん。そうかもしれません。
 

稲葉:そういう立ち位置とバランス、距離感がやはり絶妙です。
 

 

そこには信頼関係しかない

 

須長:そうしたことも、Noism(ノイズム)の金森さんと舞台美術の仕事をさせてもらった経験が大きいと思います。舞台美術をつくる時には、音楽と美術と衣装と振り付けが同時に、いっせいのせで始まって、出来上がりが全く見えない状態でオファーされるんですね。そこには信頼関係しかないんです。公演の数週間前に衣装と舞台と音楽が別々に出て来る。結局、踊り手側も、自分たちの予想を超えて来るものを期待しているわけです。むしろインスピレーションを刺激してくれるものさえ集まってくれさえすれば良くて、そのやってきた素材からのインスピレーションから踊りを組み立てていく。そうした発想と創り方のイメージは今でも持っていると思いますね。
 

稲葉:うん、うん。なるほど。まさに舞台芸術のイメージですね。
 

須長:いわゆるプロダクトデザインのプロセスとはまた違う喜びがあるわけです。即興性や偶発性のようなもの。そうしたことを経験させてもらいました。人を信頼し、強い信頼があるからこそ、予想を裏切られる喜びもあるんですね。
 

稲葉:良い意味での裏切りですね。お互いの信頼を基礎とした創造的な裏切りですね。予定調和にならないために。
 

須長:そうですね。
 

稲葉:お互いへの敬意に基づく信頼関係ですね。ベタベタした馴れ合いではなくて。ただ、かっちり枠を決めてもらわないと困る、という方もいますよね。即興的な作り方が苦手な人も。お話を伺っていると、みんなが自由に走り、自由な空間を走り合うプロセスから生まれる全体的な場に感動する状況に近いですね。まさに舞台芸術に近いんでしょうね。わたしも、病院というチームや組織のあり方としてもそうした創造的な方向性を目指したいです。
 

須長:そうおっしゃってもらえると嬉しいですね。

 

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お薬手帳はちょうど中間地点

 

稲葉:では、今回の「おくすりてちょう」の本題の話に行きましょう。話に夢中になり過ぎて、本題への前置きが長くなりました。(笑)
 

須長:はい。(笑) よろしくお願いします。
 

稲葉:医療とアートやデザインや福祉。今回、そうした垣根を超えて何か一緒に作りたい、という話の中で、「お薬手帳」へと結実していったプロセスを教えてください。

 

須長:まず、お会いして稲葉さんが書かれた著作を全部読ませていただきました。医療に対する考え方、芸術に対する考え方、そもそも医療や医師というかたちにこだわらず、もっと大きな視点で捉えられている姿勢をすごく感じたんですね。あと、雑談の中で、今抱えている医療現場での問題点などを伺う中で、アートやデザインと治癒や治療がどう結びつくのかは分からないですが、少しでも助けとなれるきっかけをいただけたな、という気持ちもありました。そうした中で、不特定多数の方にちゃんと配られて、病を持っている方へ渡すもの、そこに小さな芸術の何か種みたいなものを発見してもらえたら、と考えて、お薬手帳のアイディアにつながりましたね。
 

稲葉:病院や医療にまつわるような色んな物がありますよね。その中でお薬手帳はちょうど中間地点のようなものだとも思うんですね。手帳は病院内で完結するものではなく、薬局や複数の病院も含め、家庭の中でもいろいろな場所を行き来するものです。それだけ日常的に見るものでありながら、デザインとしても、意味としても軽視されている気がしました。薬剤師からもお薬手帳を持ちましょう、と声がかかりますが、やはり管理型の発想が見え隠れするので、管理されたくないと思う人もいるわけです。お薬手帳を新しく作ろうという案に辿り着いた時点で、お薬手帳の価値観をひっくり返せる可能性を感じて、色んなインスピレーションが湧いてきたんです。
 

須長:うん、うん。

 

稲葉:わたしは、薬は医者が処方するもの、という固定観念の構図が嫌だったんですよね。例えば友達同士や家族の中でアドバイスをしたりして、それは言葉の「くすり」だと思うんですね。処方されるカプセルや錠剤だけが薬なのではなくて。そうした固定観念を壊したいな、とずっと思っていたんですが、この「おくすりてちょう」の実物を見た瞬間に、まさにそうした常識を超える可能性があるなと直感的に思ったんです。「おくすり」と平仮名だったこともよかったんです。もちろん、須長さんが何を想像して作ったのかは知らないんですが。 (笑)

 

須長:いえいえ、そんな想像はまるでしてなかったです。(笑)

 

稲葉:ずっと自分が抱えていた課題を一気に解決しようというインスピレーションが下りてきた感じですね。実物の存在感から、インスピレーションがわき上がったんです。
 

須長:僕は、そういう風に「お薬」の概念をバッと広げたアイディアを聞いたときに、なるほど!そういう風に捉えられるんだ!と、凄く面白い発想だと思いましたね。
 

稲葉:病院だけではなく、軽井沢町が抱える課題も、「おくすりてちょう」が町中を行き来する中で、同時に解決出来るんじゃないかと思ったんですよね。
 

須長:確かにそうかもしれませんね。


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稲葉:例えば、軽井沢町の施設で有効に使われていないものがあるとすれば、町の植物園に行ったり、町内バスに乗って町を周遊してみるとか、そうした行為を気分転換の「くすり」と考えて周りが処方すればいいんじゃないか、と思うんですよね。病気になった人が元気取り戻すきっかけに、友人や家族が出してくれる「くすり」があれば素敵だなと思いました。お薬手帳に「くすり」を書きこめばコミュニケーションツールにもなると思ったんです。個人、病院、町、それぞれが持つ課題を同時に解決する可能性を持っているのではないか、と。そうしてイマジネーションがどんどん膨らんだのは、やはり物体そのものが持つ力の影響は大きいですね。
須長:そう言ってもらえてうれしいです。

 

稲葉:お薬手帳がプリントの印刷じゃなくて、直のペイントじゃないですか。リアルな絵具の質感も素晴らしいですよ。病院内でギャラリーのように展示しているんですが、皆さんじっと見ている光景をよく見かけます。プリントが多い中で、実際の絵画に近いタッチを見る機会も少ないと思うんですよね。
 

須長:そうだと思います。絵の具の厚みとかいいですよね。
 

稲葉:美術館に行く人は実物の絵の具や色が持つ迫力を知っていると思いますが、そうした生の質感を「おくすりてちょう」を介して病院で感じてもらえると嬉しいですよね。
 

須長:はい、私もそう思います。
 

稲葉:パソコンやテレビのデジタル画面で見る物は平板ですが、実物は差し込む自然光との関係で見え方が無限に変化しますよね。じっと「おくすりてちょう」を見られている後姿を見てジーンとしました。
 

須長:病院内で実物を複数で展示していただけているのは嬉しいですね。お薬手帳をやろうと決まった時から、今回のような描き方や表現法がいいだろうなと思っていました。

 

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お薬手帳の製作は、メンバー全員が参加出来るもの

 

稲葉:製作現場を見たとき、作っている方々も楽しそうだったのが嬉しかったですね。
 

須長:お薬手帳の製作は、メンバー全員が参加出来るもので、そのこともよかったんです。誰もがちょっとした時間で気軽に参加しやすいプロジェクトだったので。短時間に関われて技術的にも参加しやすく、みんな楽しく製作しています。絵に苦手意識があり、表現や製作に参加しなかった方々も、今回の製作で花開いた人もいました。僕らにとっても貴重な体験をさせてもらっています。
 

稲葉:製作現場の様子を見て、俳句みたいな世界だと思ったんですね。俳句は5・7・5という最低限の文字数でルールが決まってます。17文字という制約の中で言葉を選ぶからこそ、いろいろと考える。それと一緒で、「おくすりてちょう」の空白の部分は小さくて、その小さい空間で表現する。俳句みたいに小さい枠が決まっているからこそ、多様性が生まれますね。
 

須長:そうですね。彼らも複数の作品を短時間で作りながら、また新しい解釈が生まれて、常に変化し続けながら描いています。そうした思考の流れが顕在化して、すごく面白いです。何十枚も似たイメージだと飽きてきて、がらっとイメージが変わったりする。そうした変化を見ているだけで見飽きないですね。
 

稲葉:わたしたちも陳列しながら感じていました。実験しながら描いている感じで、ガラッとテーマが変わったりするテンポも面白くて、見ているだけで自分も制作に参加している気持ちになります。
 

須長:技術的なこと、枚数、サイズなど、そうしたことも含めて凄く良いプロジェクトでした。
 

稲葉:工房の現場を見た時に、開かれたオープンプロジェクトのように感じました。病院のスタッフも希望者はこちらに来て複数作らせてもらったりしたいです。
 

須長:はい。是非どうぞ。


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稲葉:おくすり手帳の台紙だけを配って、表現したい人はそこに作品を描いてもらって、病院で展示して希望者に渡す、とうこともできますね。これは発地に住んでる〇〇さんの作品じゃないの?とか、そういう話になると面白いかなぁと。市場で生産者が分かる産地直送野菜みたいに。
 

須長:ははは、そうですね、面白いですね(笑) 色々なことに発展しそうです。
 

稲葉:学生の授業にも使えますね。自分にとっての薬って何だろう?と考えるきっかけになりますし。薬と聞いた時に色んなイメージが湧くと思うんですよね。
 

須長:そうですね。
 

稲葉:自分の薬やお互いの薬を考え、頭の中にあるイメージを実査に描いてみよう、とすれば、みんな解釈も表現も違うはずですよね。

 

須長:そういう過程を観察しているだけで面白そうですね。

 

稲葉:須長さんの面白がるあり方もその場を支えていますよね。上下ではなく対等だからこそ楽しめるわけですし。初期条件の設定がすごく絶妙なんですよ。開かれた場のあり方と、イマジネーションをかきたてる余白があると思います。人間の創造力を発揮出来る場が無ければ、その能力は開花されないまま人生が終わってしまうケースもたくさんあると思います。誰でも参加できる開かれた創造的な場の在り方や可能性を示していると思います。
 

須長:あまりそうしたことを意識せずにやってきましたが、そういう場になっていればいいですね。自分自身の関わり方として、最終決定を他者に委ねるころに美しさを感じていたり、全部自分で決めない事に美しさを感じたりするところがありますね。大学の卒業制作は、スチールで作った椅子のフレームにドラムレザーという、なめす前の牛の皮をかけて、乾燥して皮が勝手に縮むことを利用した作品でした。時間や水分などの関係性で最終形態が決まっていきます。ある程度の形は自分でつくりますが、後は自然の流れで作ると形が美しいなと思ったんです。昔から、そういう最後に委ねる感覚があるのかな、とお話を聞いていて思い出しました。
 

稲葉:それは、自然のプロセスを信頼している、ということだと思うんですよね。自然界の変化のプロセスの中に真理がある。水も風も落ち着くべきところに落ち着いていく。そうした自然界のプロセスへの信頼感のようなものですね。わたしも同じような信頼感を自然界にもっています。内的自然である人体においてもそうです。病院という一つのチームを考える時にも、色んな人生経験を経た多様な人々が働いていて、いかに本来の創造性を発揮できる場を準備できるか、自然界の美しいプロセスに学びながら、チームとしての在り方もいつも考えています。須長さんがされている創造の場づくり、スタッフに信頼して委ねる場づくりからも、学ぶことが多いです。
 

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須長:病気に対する人の関わり方も、東洋医学と西洋医学があるとしたら、東洋的なアプローチには曖昧さを許容するものがあるんですかね。今の病院は西洋医学が中心の場だと思いますが。
 

稲葉:そうですね。東洋哲学・東洋医学は、この複雑系の自然界全体へのプロセスに対する信頼と深い観察に基づいていると思います。植物に葉がつき、ランダムに落ち葉となり、土へと還り次の生命へと循環していく。それは水の波紋などの挙動を含めた自然界の動きの中で、巡り巡って循環する円環的なイメージは東洋医学や伝統医学の底を支えていますね。西洋医学は人間が考えた理論や理屈の世界なので、理論の中に現象を当てはめていく、場合によっては曖昧さを許容できないんですよね。人間が作った理論の検証は絶え間なく繰り返されるべきですが、どうしても仮説であることを忘れて絶対的なものと思ってしまう。これは科学的に証明された、と言われると、そこで止まってしまいますから。わたしはいつでも本当にそうなのかなと思う余白を残すようにしています。たかだか人間が考えたものにすぎない、と距離をとるように。なぜなら、自然界の何十億年の歴史を考えると、人間が考えること自体に謙虚さが必要なのは当然ですから。軽井沢のような森や自然が多い場所で、全てが調和した自然が近いからこそ感じとれる感覚もあると思います。人工空間で毎日過ごしていたら、前提を疑えなくなりますし。


 

分からないものに対しての謙虚な態度

 

須長:そうした分からないものに対しての謙虚な態度はすごく必要ですよね。分かった気にならないと言いますか。お医者さんとして働いていて、科学を完全に信じ切らない立ち位置は、芸術とのふれあいの感性から、その距離感は生まれてくるんですかね。
 

稲葉:色々な物差しや尺度を持っておくことは必要ですよね。科学という物差しだけではなく、芸術や音楽という物差しで見てみる、と言いますか。考える力も大事ですが、感性や感じる力も重要です。感じる力は、自然界や芸術などからしか学べないことでしょうね。科学などの理論ではなくて。
 

須長:うん、うん。感じる力ですね。
 

稲葉:特に軽井沢は本当に光が綺麗ですよね。空間を貫く光の質の違いを感じます。

 

須長:はい。わたしもそう思います。
 

稲葉:以前、ギリシャに行ったときも思いました。空間の水の密度などの違いなのか分かりませんが、明らかに場所で光の質が違います。軽井沢で自然を強く感じる背景に、光の質の問題があると思います。紫外線も強いですが。
 

須長:そうですね、ある場所に対して小さなきっかけで惹かれた、というのはお話を聞いていて思いだしましたね。僕は軽井沢に全然縁の無い人生を送ってきて、急に軽井沢に移ってきた人間なんです。
 

稲葉:わたしもそうです。(笑)
 

須長:秋に車で走っていたんですね。そこで落ち葉が、カラカラカラカラーっと小さいつむじ風のようなものの中で飛んでいく。その風と落ち葉の風景を見た瞬間に、ここは良いとこだなぁと思って軽井沢に決めてしまった、と言いますか。 (笑)
 

稲葉:あぁー。分かります。

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須長:そういうちょっとした感覚で最終的に決めてしまったところがありますね。

 

稲葉:私も同じです。軽井沢をレンタカーで走っていて、フロントガラス越しに見えた、空から貫く光線の束、その風景を見た瞬間に、わたしも住もう、と決めていますから。(笑)

 

須長:はい。でもそういう一瞬をとらえた感覚が重要なことだったりしますね。

 

稲葉:そういう事ですね。一瞬で捉えた風景がどれだけ自分の魂を貫いたか、それが心の寄る辺になっていたりしますね。

実際の決定はそういう非論理的な感覚、風や光の風景、なんでしょうが、理屈で説明しようとすると、東京と新幹線で一時間だ、とか、TSURUYAさんがあるから、という理屈での説明になっちゃうんですよね。(笑)
 

須長:ははは、そういうところありますよね。(笑)
 

 

何かが魂を通過している

 

稲葉:多分、本当に何か人が動くきっかけは、そうした深い無意識レベルのものに動かされているんですよ。何かが魂を通過しているんです。そこに気づこうとも気づかずとも。軽井沢病院も、そうした一瞬の体験の一端に貢献できれば、と思っています。特に、人が困っていた辛いときに立ち寄る場ですから、なおさらそう思っています。軽井沢病院で見た一瞬の風景が、いのちに貢献できれば、と。

今回、須長さんのような素敵な思いが根っこにある方にプロジェクトに関わってもらったことで、深さや輝きが違うものになっていると思っています。「軽井沢 屋根のない病院 プロジェクト」(KARUIZAW HOSPITAL WITHOUT ROOF)として、世界でひとつの「おくすりてちょう」を作るプロセスをご一緒させていただいたのは本当に光栄なことでした。
 

須長:こちらこそ嬉しいです。ありがとうございます。


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稲葉:今後の可能性や展開など、イメージはありますか。
 

須長:やってみたい事、やりたい事を色々を話した上で、一緒に妄想して日々こんな事出来たら良いな、とたくさん考えていますよ。まず、今回のお薬手帳でどんな反応があったのか、手に取った方がどんな風に思ってくださったのか、そういう生の反応を聞いてみたいですね。あと、お薬手帳を入り口として解釈の広げていく面白さも楽しみたいですね。皆さんの反応を楽しんで、またその反応を受けて自分がどう反応するかを見てみたいっていう思いがあります。発想を病院という枠に限らず自由に捉えていいんだ、と受け取りました。話していて、本当に町全体を病院に見立てて考えていることがよくわかりますので、僕自身ももっと柔軟な考えでもっと自由に想像していきたいなと思っているところです。
 

 

KARUIZAW HOSPITAL WITHOUT ROOF 屋根のない病院、屋根のない軽井沢、屋根のない日本、屋根のない地球・・・

 

稲葉:お薬手帳にも、「KARUIZAW HOSPITAL WITHOUT ROOF」という文字が刻印されています。その文字を毎日見ていると、無意識に屋根のない発想で病院を捉えるようになるんじゃないか、と期待しますね。屋根のない病院、屋根のない軽井沢、屋根のない日本、屋根のない地球。そうした美しいイメージが人間の無意識を駆け巡れば、発想も変わり、平和にも貢献できればいいです。
 

須長:わたしもそう思います。
 

稲葉:初版は500部で、軽井沢病院としても100部配布しました。残りはクリニックや調剤薬局に挨拶と共にお配りしました。これは何だ?というところから話が広まり、ちょっとずつ次の段階に移行していけばいいです。希望者の手元全員に行き渡った時、また次のステップにうつって何が起きるのか、わくわくしています。須長さんがおっしゃったような、予想を超える展開につながればいいです。もちろん、軽井沢以外でも広まってほしい気持ちもありますし。

わたしもみんなのイマジネーションを信頼しているんです。何を感じ、何を発想してくれるのか。わたしも楽しみです。

 

須長:はい。わたしもその後の反応や展開を追っていきたいです。皆さんに手渡っていくことが本当に楽しみですね。
 

佐藤:わたしも検査科の荒井さんと一緒に病院で配布していますが、一人一人の反応がとてもいいです。一人一人のダイレクトな反応がよかったです。
 

荒井:そうですね。直に感じますね。
 

佐藤:はい。グッとダイレクトにきますね。言葉で言い表せない感覚です。人によっては数分ずっと見ていて、そこだけ雰囲気が違うんですよね。
 

稲葉:そうですね。わたしも誰かがじっと見ている風景は、病院じゃない美術館のような雰囲気を感じることがありますよ。
 

須長:へえー、そういう景色はいいですねぇ。
 

稲葉:何を思っているのかなぁとか。頭の中を覗いてみたくなるくらい、じーっと見られていて。そういう方が結構いますね。

 

佐藤:はい。ずーっと、じーっと眺めてるんです。
 

須長:それはうれしいですね。
 

荒井:一つとして同じ物が無い、と説明させていただくんですが、またさらに真剣に選んでくださったりします。ひとつひとつの手帳から、色々なものを感じて丁寧に見てくださってるのがすごく伝わってきますよ。

 

稲葉:美しいデザインがプリントされていてもインパクトはありましたが、今回のように手描きで全てが違うという生の筆致は、一気に何段階か先に進んだ作品のような気がします。見てる人たちも、想像を超えたものを受け取っている様子でした。きれいだね、オシャレだね、で終わるのかと思って見に来たら、まるで美術館の展示に来たような感じで、驚いて、という方もいましたよ。
 

荒井:はい。私自身もみなさんの反応にも驚きました。選ばれるときも、直感でこれが良いですって、パッて決めていく方もいて、その差は何なんだろうなということも含めて。 (笑)
 

一同:ははははは(笑)
 

須長:でも反応があるのはやっぱり面白いですよね。

 

佐藤:はい。そうですね。それが現場で感じる醍醐味ですね。
 

荒井:配布時間より前から並んでくださる方もいらっしゃって、すごく嬉しかったです。
 

稲葉:誰にでも配布するよりも、やはりまずは希望者からにしたいな、と思いました。そういう意味では、わざわざ受け取るために病院に来ていただいたのは嬉しかったです。

 

 

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稲葉:美術館のような空間と、そのための時間を今後も準備したいです。無料でもらえるから得した、という体験だけだと、なんだかもったいないな、と思ったんです。
 

須長:それは体験として大きな違いですよね。
 

荒井:個人的に嬉しかったのは、自動販売機の納品で来られたメーカーの方が受け取ってすごく喜んでくださりました (笑)

今、こういう事やってるんですかって驚いて、今ならまだお渡しできますよ、って言ったらまたすごく喜んでくださって。
 

須長:えー、本当ですか。
 

荒井:大事に使いますって言って(笑)
 

稲葉:本当は希望者のみなさんに配りたいところですが、手作りなので気長に待ってください、としています。ですから、また次の作品が楽しみですね。またテーマも変わりますから。
 

荒井:他の科の先生にも声かけていただいて、お薬手帳は評判だねと言っていただいて嬉しかったですね。

 

須長:それは嬉しいですね。
 

稲葉:ちょっとした小さな種が育っていく予感を感じます。こうしたことが顔の知った関係性の中でひとつの町の規模で出来るのも素晴らしいなと思います。

あたたかい目で見守っていただきたいなと思っています。今後、クリエイターの工房で、職員も一緒につくる時間も準備したいです。
 

須長:はい。クリエイターの中で一緒にやると面白いと思いますよ。
 

稲葉:はい。共に屋根のない病院をつくる、ということでもありますよね。今回は本当にありがとうございました。

素晴らしい作品にわたしたちも勇気づけられています。
 

須長:とんでもないです。良い機会をいただいて本当にありがとうございます。

 (文字起こし:検査科 荒井美幸、校正:院長 稲葉俊郎、庶務係 佐藤大晃)

 

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